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作品集を読む『Japan Works』

10月17日まで店頭で、そして現在はオンライン上でベルギー在住のオーストリア人アーティスト、アグライア・コンラッド(Aglaia Konrad)のアーカイブ展を開催中だ。この展示はコンラッドの代表的な作品集を中心に、これまで参加したグループ展や個展のカタログ、その他関連書籍やグッズまで幅広く網羅した、世界でも類を見ない充実した内容となっている。

コンラッドはこれまで日本で2度グループ展に参加しているが、個展の開催は未だ実現しておらず、また写真を使った作品が中心にもかかわらず、なぜか写真の文脈でも紹介されることは少ない。実際、ぼく自身もIACKで既に取っていた作品集を除いて作家のことを詳しくは知らなかったし、今回の展示の来場者やネットでの反応を見ている限り、そもそもこの作家の名前を聞いたことすらないという人が大半であった。

しかし、そのような状況をいくら嘆いていても仕方がない。幸いなことに、現在IACKには充実したコンラッドの作品集コレクションがあり、そして先日オランダの「Roma Publications」より出版された新刊は、『Japan Works』というタイトルが示す通り、日本をテーマに制作された作品である。日本の観客にとっては、この作家の作品世界に触れるまたとない機会と言えるだろう。

今回は『Japan Works』の読解を中心に、型に捉われずにあらゆる探究を続けてきた作家の魅力に迫る。

<Japan Works - 1>

まずは早速、今回制作された新作を見てみよう。

コンラッドが「Roma Publications」とともに作品集を制作するのは、2011年の『Carrara』、2017年の『Schaubuch: Skulptur (Looking At Sculpture) 』に続き3度目となる。本書はおよそ500ページにも及ぶ大ボリュームの作品集で、コンラッドが2019年の9月から10月にかけて撮影した、東京、糸魚川、京都、名古屋、大阪に点在するメタボリズム建築[*1]と、その周辺で独自の都市風景を形成する無名の建築物の写真を収録している。

何より本書を特徴付けているのは、そのシンプルかつ大胆な構造だ。本書はグリッド状に配置されたカラー写真のページ、画面いっぱいに印刷されたモノクロ写真のページ、随所に差し込まれたテキストページの反復によって構成されている。「Roma Publications」の設立者でありデザイナーのロジャー・ヴィレムス(Roger Willems)によると、カラーページの仕様はコンラッドから送られてきた何千枚もの写真データが時系列順に並んでいるのを最初に目にした際に思いついたそうだ。[*2]そこには、作者が異国の地で一カ月間にわたりレンズを向けたさまざまな光景がありのまま写し出されており、読者がその足取りをたどることができるように、写真がファイル番号とともにタイムラインに沿って配置されている。

一方の白黒ページには、既に彼女の作品を見たことがある読者にとってはなじみ深いパワフルなモノクロ写真が各ページに一枚ずつ印刷されている。当初このページには、コンラッドがデジタル写真と並行してわずかながら撮影していたフィルム写真をレイアウトすることを想定していたそうだ。興味の赴くまま撮影されたデジタル写真と、 ひと息置いて撮影されたフィルム写真。その時間の流れのコントラストに惹かれたヴィレムスだったが、全体のボリュームとバランスを考慮した結果、最終的にはフィルム写真に加えてデジタル写真も織り交ぜた上で構成することとなった。

そして最後の仕上げとして本書全体に軽快なリズムをもたらしているのが、随所に差し込まれたテキストページである。このテキストは作家自身によって書かれたものではなく、オーストラリア人建築家であり日本学者のジュリアン・ウォーラル(Julian Worrall)によって書き下ろされた、メタボリズム建築や日本の文化、風景に関するエッセイのような文章である。数千枚の膨大な量の写真がコンラッドの旅路と迷宮のような都市像を体現しているとすれば、このテキストは読者の手を引いて旅の終わりまで案内をするガイドの役目を担っている。




Spreads from "Japan Works" ©︎IACK, 2021

本書はこれまでコンラッドが制作してきた作品集の中でも、ある意味最も建築という要素が全面的に押し出された作品だが、果たして本書を、異国の著名な建築物を見て周った旅の記録として捉えるのは正しい読み方なのだろうか。

答えはイエスであり、ノーである。そもそも作品集を読む上で正解不正解などありはしないし、本書が建築を全面に押し出しているのは明白な事実である。しかし、これまでのコンラッドの実践を知れば知るほど、それだけではこの作品の上澄だけをすくっているに過ぎないという風に感じられることもまた確かなのだ。

<グローバリゼーションと写真的実践>

1960年、コンラッドはオーストリアのザルツブルクに生まれた。美術の専門教育は受けていなかったが、建築や都市環境、そしてシネマトグラフィーに興味を持ち、20代の頃にはウィーンの建築事務所で秘書として勤務する。そしてカメラを購入したコンラッドは独学で写真を学び始め、次第に本格的に撮影を行うようになる。

はじめの頃こそ近場のヨーロッパの都市を中心に撮影していたが、1991~1992年ごろになると、現在進行形でグローバル化する世界と、至るところで並行的に進行する都市開発に関心を持ち始めた。そしてコンラッドはその後の制作スタイルのベースとなる、リサーチに基づいた作品作りを開始する。

「撮影を始めるにあたり、私は2~3カ月間をかけてさまざまな大都市に滞在して現地で調査を行いました。情報が既にあるものについては、家にいながらでもリサーチはできますが、本当の意味で未知のものや新しく開発されているものは、自分の目で直接見なければ発見できません。作品を見てわかるように、私の場合はギラギラとした建築や最新のもの、話題のものには興味がなく、実際そこに私の興味のあるものはほとんどありませんでした。そして私はアーティスト・イン・レジデンスへの応募を始め、カメラを持って街をスキャンし、興味をそそられるものを撮影しました。」[*3]

コンラッドにとって、写真撮影は自身が身体的/空間的に体験した建築や都市のあらゆる要素を、文字通りスキャンするかのごとく収集し、写真という2次元に落とし込む行為であった。さらにコンラッドは、そのように撮影した写真を慣習的な方法にのっとってアウトプットするのではなく、再び3次元的に、空間的に還元する方法を模索した。

この一連の作品制作のプロセスは、自分自身や空間の知覚を押し広げることを意味していた。そして建築と「空間」に強い興味を持っていたコンラッドは、建築に関連するイメージを「展示会場」という空間の建築と結合し、観るものに新たな経験を与える試みを次々と行った。


Installation view ©︎Aglaia Konrad, 2021

<新たな空間の発見>

このように、都市空間と展示会場を接続させる表現を試みていたコンラッドだったが、次第に新たな「展示会場」として「本」というメディアに着目するようになる。

最も最初にその片鱗が垣間見えるのは、1992年にベルギーのハッセルト・プロヴィンシアル美術館とCBKロッテルダムで開催されたグループ展、「Snapshotpolitics - De camera als instrument van de kunst」に合わせて出版された展示カタログである。本書はわずか22ページの冊子のようなカタログだが、コンラッドのページではトレーシングペーパーを重ねることでガラスと写真、風景のレイヤーを表現したユニークなデザインが採用されている。


Spread from "Snapshotpolitics - De camera als instrument van de kunst" ©︎IACK, 2021

しかし、これはあくまで実際のインスタレーションのミニチュア版として制作された展示の付属物であり、それ自体作品としての本とは言い難い。その特性を最大限に活用した表現が本格的にスタートするのは、彼女が1995年から取り組み始めた一連のアーティストブック・シリーズからである。

中でも1998年に制作された『Sao Paulo』は、先ほどのカタログのような簡素な製本ながらも、写真の反転や独自のシークエンスを用いることで、本が持つ、読みはじめと読み終わりという一方向に向かった時間の流れを逆なでし、まるで都市に迷い込むかのような感覚を読者に引き起こさせる作品となっている。彼女のキャリアにおいて、本という「空間」を強く意識した作品への本格的な挑戦は本書をきっかけに始まったといえよう。

Sequence of pages from "Sao Paulo" ©︎IACK, 2021

グローバル化する世界をテーマにした作品作り[*4]と、本という空間を強く意識したこの一連の取り組みは、2002年の『Elasticity』、そして2005年の『Iconocity』でピークに達する。

自費出版されていたシリーズとは異なり、この二冊の作品集はそれぞれひとつの都市から構成されるわけでも、章立てて各都市を取り上げているわけでもなく、さまざまな都市で撮影された写真が、文字通りカオスと呼ぶにふさわしい独自なレイアウトとシークエンスで配置される。あらゆる都市の垣根を越えてフラットに配置されるこの構成には、90年代に突入し加速するグローバル化の感覚が直接的に反映されている。


Above: spread from "Elasticity", below: spread from "Iconocity" ©︎IACK, 2021

<より具体的な事例の調査へ>

『Elasticity』と『Iconocity』の二冊が、グローバリゼーションという現象をテーマにした作家のキャリア初期を代表する作品集だとすると、その後に制作された『Desert Cities』『Carrara』は、その大きな枠組みから個々の事例という小さな枠組みへと、手法的にも内容的にもさらに歩みを進めた作品となっている。

『Desert Cities』では、1992年に一度訪れたエジプトを再訪し、そこで行われる砂漠の開発と輸入されたモダニズム建築のあり様を、異なるテクスチャーの用紙を用いながら表現しており、映像作品として制作されたシリーズから派生した作品集の『Carrara』では、大理石の産地として知られるイタリアのカッラーラ地方で切り崩される山々と石切場の様子を、写真同士を重ね合わせたような独自のレイアウトで表現している。

Spread from "Carrara" ©︎IACK, 2021

両者とも建築や被写体の魅力的な造形を捉えつつも、現代社会における自然と都市開発のせめぎ合いという具体的事例を取り上げており、これまで以上に洗練されたシークエンスや巧みな用紙使いといった方法で、作品を見事に本という形態に落とし込んでいる。

『Desert Cities』に関する以下の発言では、彼女が建築の造形的豊かさの奥に見据えているものの正体を明かしている。

「私の作品はすべて、私たちのこと、私たちが周囲の環境とどのように影響を及ぼし合っているか、そして最終的には人間と環境の両方のことを語っています。イメージの中に私たちが存在していなくても、私たちは主要な被写体であり、私が撮影する建造物の存在は、私たちの存在と密接に関連し、派生しています。私の意図はモラリズムを伝えることではなく、個人的に興味のあるテーマを観察し、その後、人間、建築、風景に関連したより広い対話を開くことです。私は芸術家/人類学者でもなく、芸術家/地理学者でもなく、芸術家/ジャーナリストでもありません。『Desert Cities』プロジェクトの視点は、主に私自身の芸術的信念の基礎に基づいています。つまり、それは建築や都市の現象についての考察であり、私の写真活動の経験から社会の構成についての私の見解を明確にしたものです。私のプロジェクトは、それぞれの目的の点で大きく異なっていますが、すべてのプロジェクトは同じ活動に根ざしており、私に豊富なイメージを蓄積させ、建築環境の中でともに生きる私たちの努力の多くをカバーする可能性のあるアーカイブを形成しています。」[*5]

初期作品では都市の一部として人々の姿が写し出されていたが、『Desert Cities』以降、コンラッドは建築物に撮影の対象を絞っていく。なぜなら人の営みの一環として生み出される建築物には、思想や価値観、そしてその土地土地の風土や文化が自ずと反映されているからだ。コンラッドは都市を探索しながらその表皮をカメラでかすめ取り、その断片と展示空間を接続することで新たな空間をぼくたちの前に出現させる。これこそがコンラッドにとっての建築であり、写真という行為なのである。

<定着された意味からの解放>

彼女の作品を特徴付けているもうひとつの重要な要素が、先程の『Desert Cities』に関する発言でも言及されていた、「広い対話に開かれた作品」という点である。コンラッドは『Desert Cities』と『Carrara』以降に制作された作品集で、さまざまな手法を用いてそのための試みを行っている。

2016年にベルギーのルーヴェンに位置する美術館、「M Leuven」で開催された個展に伴い刊行された作品集『Aglaia Konrad: From A to K』は、「A to Z(何から何まで、あるいは全集の意)」を自らの名前のイニシャルである「A to K」に置き換えるというユニークなアイデアに基づき制作された。断片的に並べられた単語はそれ単体では明確な意味をなさないが、読者がどのような単語を拾いながら読みすすめるかに応じて、三者三様の作品イメージが形成される。


Spread from "Aglaia Konrad: From A to K"
 ©︎IACK, 2021

そして2017年に制作された、ヨーロッパのさまざまな博物館で撮影していた個人的なメモのような写真から構成した作品集『Schaubuch: Skulptur (Looking At Sculpture)』では、これまでの作品との連続性を間接的に示しながらも、それぞれの彫刻の詳細を提示しないことで読者の自由な読解を可能にしている。

Spread from "
Schaubuch: Skulptur (Looking At Sculpture)" ©︎IACK, 2021

これらの作品に共通しているのは、テーマを固定した『Desert Cities』や『Carrara』とは真逆に、特定の意味に写真や被写体を縛り付けず、あらゆる読解に対してより開かれているという点である。

作品は作品として発表される以上、ある時点で必ず完成させなければいけない。しかし同時に、必ずしもそれらを永久にその地点に固定する必要もない。コンラッドはまるで積み木を組み替えるように、アーカイブから素材を出し入れしながら自在に新たな文脈を紡ぎ出す。そのような方法で写真と被写体を固定的な意味から解放し、鑑賞者に解釈の余地を残しておくことで、さまざまな視点からの開かれた鑑賞を可能にしている。

<Japan Works - 2>

彼女がこれまで作品集という媒体で行ってきた試みの数々を踏まえて、今一度『Japan Works』を読み解いてみよう。

コンラッドは1990年と2000年に短期間だが日本を既に訪れており、今回はさらなる調査を行うべく、事前に綿密なリサーチを行った上で来日した。90年代に訪れた土地の再訪という点においては、本書は『Desert Cities』のバリエーションのひとつとしても位置付けることが可能だ。しかし、『Desert Cities』が明確に自然と都市開発/グローバリズムを対比させていたのに対し、本作にはそのような対構図はみられない。

そして、本書を特徴づけるグリッド上に配置されたカラー写真は、確かに時系列に沿ってコンラッドの旅路をたどる機能を果たしているが、これまでの流れを踏まえると、むしろ作家の興味の対象をありのまま反映した、非・固定的で解釈に開かれた写真群として捉えることも可能だ。

ありのまま時系列に配置されることで、読者はコンラッドの純粋な視線の移り変わりにさらされる。これらの写真は今後作品として展示されたり発展するかもしれないし、されないかもしれない。ここには選択という本来重要な制作プロセスを経ていない状態の剥き出しの写真が持つ無限の発展可能性と、非・決定的ゆえのあらゆる読解に対する許容性が同居している。

この特徴は、実はモノクロ写真のページにも現れている。これらの写真はカラーページの写真と比べると「仕上げられている」写真だが、意識して目を向けると、意図的に同じ場所で撮影された別アングルの写真や類似したカットが連続して挿入されていることが分かる。これは『Sao Paulo』から続く本というメディアの特性を生かしたシークエンスの実験であると同時に、写し出された建築物に対して非・固定的な印象をもたらしている。

つまり本書は、日本の都市やメタボリズムをテーマに、作家が一カ月間みっちりと撮影を行った旅をまとめた一冊でありながら、これまでコンラッドが試みてきた実験的手法や制作プロセスをも巧みに反映させた、まさに集大成と呼ぶにふさわしい作品集なのである。

Spread from "Japan Works" ©︎IACK, 2021

<有機的世界と読解可能性>

そもそも、コンラッドはなぜメタボリズムに興味を抱いたのだろうか。彼女がこれまで撮影してきたコンクリートの建造物の数々は、どちらかというと人口的で無機質な印象を与える。だが、建造物の存在は人間の存在と密接に関連し、そこから派生していると述べているように、コンラッドはあくまで人間の営みの一部としての建築や都市開発といったテーマに向かい続けてきた。

建築や都市に対するそのようなイメージは、キャリアの初期から現在に至るまで継続して取り組んでいる空中写真に最も顕著に現れている。本来、空中写真は測量や地図作成を目的に撮影されるが、コンラッドの航空写真の多くは35ミリフィルムで撮影されていることもあり、画像は不鮮明で詳細な地形が写し出されていない。その抽象化によって、インフラの要となる道路は大地を這う血管のように描き出され、まるで巨大な生物のような都市の実態が浮かび上がる。

そのような視点で都市の姿を捉えてきたコンラッドが、社会の変化に応じて建築を「有機的に」変化させることを目指したこの建築運動に興味を持ったのは、極めて自然なことではないだろうか。



Spread from "Iconocity" ©︎IACK, 2021

アグライア・コンラッドは、身体的経験/リサーチとしての撮影と、それらのアーカイブをもとにした空間的表現のプロセスを驚くほどスムーズに接続する技量をもった作家である。そしてその最大の特徴であり魅力は、レンズを向けた対象や作品の意味を縛り付けることなく次々と発展させていく点にあり、ゆえにあらゆる視点からの読解を可能とすることにある。そのことは、今回集められたグループ展や関連書籍のジャンルの豊富さが自ずと証明している。[*6]

『Japan Works』のページをめくっていると、「卵が先かニワトリが先か」に似た疑問が頭に浮かんだ。これらの建築が都市を形成しているのだろうか、あるいは都市や土地が建築を形作っていくのだろうか。コンラッドの作品は人間、建築、都市、社会といった枠組みを越え、全てが延長線上に存在することを強く自覚させる。それらは複雑に絡み合い、ぼくたちを取り囲む日常風景を形成している。本書に収録されているのは、日本人にとっては馴染のある風景だ。しかし、彼女のフィルターを通してその見慣れたはずの景色を眺めた時に、ぼくたちは思いがけず自分自身の姿を垣間見るのである。

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[*1]メタボリズム建築とは、1960年代に黒川紀章、菊竹清訓、槇文彦らの若手建築家たちを中心に展開された提唱された建築運動である。身体が周りの環境に適応して変化するかの如く、建築や都市も社会や人口の変動に合わせて有機的に変化するべきだという思想のもと、様々な実験的な作品が生み出された。1972年に黒川が設計した『中銀カプセルタワービル』はその代表作として知られている。
[*2]Roger Willems, Camera Austria international 2021, 155, talking book: Erik van der Weijde in Conversation with... Roger Willems, 2021, pp.84-85
[*3]Niccolò Fano, " calamita aglaia konrad and sand interview by Niccolò Fano, https://calamitaproject.com/aglaia-konrad/ (accessed on 30 October 2021)
[*4]冷戦下のベルリンの壁の存在(1961年〜1989年)や
EUの発足(1993年)など、1960年にオーストリアに生まれたコンラッドにとって、「境界」という概念はとても身近なトピックであったに違いない。彼女が抱くグローバリズムへの強い関心はそのような背景から生まれているのではないだろうか。
[*5]Niccolò Fano, " calamita aglaia konrad and sand interview by Niccolò Fano, https://calamitaproject.com/aglaia-konrad/ (accessed on 30 October 2021)
[*6]都市や建築、現代写真、現代美術、地図学、歴史、エコロジーなど、コンラッドの作品は非常に多様なテーマのもとに論じられている。そのような語りを可能にしているのは、まさに彼女の作品が対話に開かれた構造となっているからだ。



Title: Japan Works
Artist: Aglaia Konrad
Roma Publications, 2021
Softcover with flaps, Otabind
260 x 202 x 30 mm
496 pages
Text in English
First edition
¥6,500 + tax
商品ページはこちら

【Aglaia Konrad Archives Online】
会期:10月17日(日)- 10月31日(日) 11月3日(水)
*記事の公開に合わせて延長いたしました。
https://www.iack.online/collections/aglaia-konrad-archives-online

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