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変容するイメージ、横断する領域──ヴォルフガング・ティルマンスと現代写真


現代写真に関心を持つ人なら、一度はヴォルフガング・ティルマンスの名前を耳にしたことがあるだろう。

「現代写真はティルマンスに始まり、ティルマンスに終わる」

そういっても過言ではないほど、ティルマンスは90年代から現在に至るまで、常にその時代の視覚文化を更新し続けてきた。一時代を象徴する写真家は他にもいるが、常に時代と呼応し続ける存在は彼をおいてほかにない。

IACKは現代写真を中心に扱うことを掲げているにもかかわらず、長らく彼の作品集の在庫を欠いていた。そのことにぼく自身、違和感を覚えていた。そこで今回は、新たに入荷したティルマンスの作品集3点を通して、その魅力の一端に触れていきたい。

ヴォルフガング・ティルマンスという作家

ティルマンスと聞いて、まず何を思い浮かべるだろうか。

ユースカルチャーやセクシュアルマイノリティを扱った写真、天体のように配置されるインスタレーション、壁に直貼りされたプリント、暗室で生み出された抽象写真、デジタル写真の可能性を早くから提示した作品群、社会問題に直接向き合う活動、映像や音楽──。思い浮かぶ作品を列挙するだけでも、彼がいかに多彩で多作な作家かが分かる。

1968年ドイツ・レムシャイト生まれ。現在、ベルリンとロンドンを拠点に活動。英国ボーンマス&プール・カレッジを1992年に卒業した後、パープル誌などのファッション雑誌に現代美術家として戦略的に写真作品を掲載。壁に直接写真プリントを貼る独自のインスタレーション展示や、同世代の若者やカルチャーそしてセクシャルマイノリティに目を向けた作品などで注目され、2000年には写真を主な表現手段とするアーティストとしては初めてとなるターナー賞を受賞。カメラを通じて現代社会の様々な側面を切り取りながら芸術の可能性を追求している。近年は音楽活動や社会問題へのアクションにも注力。自身がディレクションを手掛ける写真集や展覧会カタログも精度が高い。
(作家プロフィール:WACO WORKS OF ART ウェブサイトより)

そして作品集は、ティルマンスの活動と切り離せない重要な表現形態だ。活動初期から今日に至るまで、印刷物は彼の核をなすメディアであり、今回入荷した90年代から今日にかけて制作された3冊からも、その特徴を確かに感じ取ることができる。

カタログとアーティストブックの垣根を超えて

『Wolfgang Tillmans: Nothing Could Have Prepared Us – Everything Could Have Prepared Us』(Spector Books、2025)


本書は2025年9月現在、パリのポンピドゥー・センターで開催中の展覧会にあわせて刊行された作品集であり、彼のキャリアを総括するような内容となっている。

ポンピドゥー・センターは1977年開館の世界有数の現代美術館だ。5年にわたる大規模改修工事を前に、ティルマンスは館内で自由にプロジェクトを行う権限を与えられた。その事実だけでも彼の評価の高さが窺える。彼は公共情報図書館(BPI)の2階全体を再構成する大規模インスタレーションを実現し、建築として、また知識の場としての図書館のあり方を問い直した。


本書はそのプロジェクトを余すところなく収録する。作品図版と展示風景を交互に展開し、空間をいかに自らのものとしたかを示す。さらに若手研究者による多様な論考も加わり、ティルマンスの仕事に新たな光を投げかけている。

カタログといえばカタログなのだが、ティルマンスの場合、展示記録として図版や展示風景、論考を収録した典型的な出版物としてのカタログは決して制作しない。そのどれもが、カタログというよりアーティストブックと呼ぶ方が自然である。

前回も述べたが、現代写真集の特徴のひとつに「写真集には作家の意思が強く反映され、構成されるべきである」という考え方がある。ティルマンスが単なる作品コレクションとしてのカタログを制作しないのは、カタログにおいても写真集のように作品としての側面を持つべきだと考えるからである。(1) このような考え方をいち早く示したのが、ティルマンスのキャリアを、そして90年代を代表する写真集のひとつ『Concorde』である。

『Concorde』( Walther König、2025)


『Concorde』は、1997年にロンドンのチセンヘール・ギャラリーで開催された展覧会「I didn’t inhale」にあわせて出版された。現在は運行を停止した超音速旅客機コンコルドを街中からの視点で捉えた本書は、論考やテキストを含まず、シンプルだが練り上げられた順序で写真が配置されている。単にシリーズをまとめた本ではなく、これ自体が作品として構想されている意図が窺える。


このような思想は、それまで出版されてきた、単なる作品コレクションとしての作品集やカタログに対するカウンターとして生まれたとも言える。しかしティルマンスにとって、カタログと写真集の垣根は存在しない。自ら編集・監修を徹底し、展示と同様の哲学を反映させることで、記録を超えた作品へと昇華している。

実際、ティルマンスの代表的な写真集を挙げようとすると、その多くが展覧会にあわせて制作されていることに気づくだろう。現代美術家ならともかく、写真家でありながら、写真集ではなくカタログが代表的になる作家は他にほとんどいない。しかもその理由が「写真集がないから仕方なく」ではなく、作品としての質の高さゆえにである。

今回のポンピドゥー・センターでのカタログも、カタログとしての機能、展示風景、図版、論考を収録しながらも、一冊のアーティストブックとしての完成度を備えている。

展示空間としての作品集

『Wolfgang Tillmans: Things matter, Dinge zählen』(Walther König、2025)

もう一冊の作品集は、さらに実験的な手法をとる。

この本は、1987年に刊行されたドイツ・ドレスデンのアルベルティヌム美術館による所蔵カタログの抜粋と、2003年に制作された自身の展示カタログ『If one thing matters, everything matters』を重ね合わせることで構成されている。

これだけ聞くと分かりにくいが、本書はティルマンスの考え方をさらに濃厚に反映した実験的な作品集である。ある意味、本というより「物質として本が内包する空間」で展開される平面的インスタレーションと捉えた方が理解しやすい。


本と本、写真と写真は時に重なり合いながら、一冊を通して、まるで紙面で展開されるインスタレーションのように対話し、現代の視点から過去を見返すことの意義を問いかける。

このような空間の捉え方と印刷物という媒体を自在に行き来する柔軟さは、彼の大きな特徴である。そして、写真というメディアが時代に応じて変化する特性に即応しながら、印刷物から画像、映像、バーチャルとリアル、生活と社会、政治を往還するバランス感覚こそが、ティルマンスを常にコンテンポラリーな作家たらしめている。

この3冊だけでも、ティルマンスが画像、プリント、インスタレーション、そして作品集の相関性を、時代に応じて巧みにスケール変換しながら再考していることが分かるだろう。

ティルマンスの現代性、その核心


繰り返される領土を巡る武力衝突や、パンデミックでの国境封鎖、検閲。その一方で進んだ、冷戦終結後の自由化やグローバル化と情報化、写真・映像のデジタル化。ティルマンスの生きてきた時代は、領土の線引きと可視化が進行すると同時に、身体的にも概念的にもこれまで以上に、そして新たな次元で場所を横断することも可能になった。


写真もまた、テクノロジーの発展とともに物としての身体性から解き放たれ、より自由に移動するようになった。雑誌から出発した彼は、印刷物にとどまらず、そうした写真の時代性に敏感に反応してきた。印刷からデータへ、フィルムからデジタルへ、リアルからバーチャルへ、そして再びリアルへ──。その変化を自覚的に受け止め、応答してきた点にこそ、彼の現代性がある。


「現代写真」とはどのような写真を指すのだろうか。

極めて抽象的な言葉でありながら、私たちはそれを特定の種類の写真を指す語として用いている。

もし簡潔に、作例とともにその言葉にふさわしい作家を紹介するのであれば、ぼくは間違いなくヴォルフガング・ティルマンスの名前を挙げるだろう。

Article by Yukihito Kono (18 September, 2025)

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*(1)場所や細かな時代背景は異なるが、ノルウェーのMultipressのインタビューでも同様のことが語られている。興味のある方は以下もあわせて再読されたい。
Artist Interview: Line Bøhmer Løkken (Photographer/Multipress)|https://www.iack.online/pages/artist-interview-line-bohmer-lokken

 



Title: Nothing Could Have Prepared Us – Everything Could Have Prepared Us
Artist: Wolfgang Tillmans
Editor: Florian Ebner and Olga Frydryszak-Rétat
Designer: deValence, Lyosha Kritsouk
Publisher: Spector Books, 2025
Format: Softcover with flaps, thread-sewn
Pages: 272, over 600 colour illustrations
Size: 220 × 280 mm
Language: English
Edition: First edition
ISBN: 9783959059213
Price: ¥9,350

▶︎通販はこちら
https://www.iack.online/products/wolfgang-tillmans-nothing-could-have-prepared-us-everything-could-have-prepared-us

Title: Concorde
Artist: Wolfgang Tillmans
Publisher: Walther König, 2025
Format: Softcover
Size: 190 × 240 mm
Pages: 128, with 62 full-page colour illustrations
Language: German & English (with text by the artist)
Edition: 6th edition
ISBN: 9783960981671
Price: ¥6,050

▶︎通販はこちら
https://www.iack.online/products/concorde-by-wolfgang-tillmans

Title: Things matter, Dinge zählen
Artist: Wolfgang Tillmans
Editors: Dennis Brzek & Hilke Wagner
Publisher: Walther König, September 2025
Format: Softcover, perfect binding
Size: 210 × 297 mm
Pages: 312, with 600 colour illustrations
Language: German & English
Edition: First edition
ISBN: 9783753308197
Price: ¥8,250

▶︎通販はこちら
https://www.iack.online/products/wolfgang-tillmans-things-matter-dinge-zahlen