歴史資料を超えた写真集へ
『Heap-O-Livin': Selections from the Lora Webb Nichols Archive 1899–1962』

「なんと瑞々しく、生気にあふれる写真なのだろうか」
Fw: Booksから出版されたローラ・ウェッブ・ニコルズの写真集『Lora Webb Nichols: Heap-O-Livin’』を開いた瞬間、良い写真集の予感は確信に変わり、気づけば心を掴まれていた。
専門家ではないため、この年代に撮影された写真を多く見てきたわけではない。しかし、これほど時代の手触りを残しながら同時に時代を超えて見える、自然体で動的なイメージに出会ったのは初めてだった。
約100年前に遠く離れた土地で撮影されたこれらの写真に、なぜここまで魅了されるのか。当初の確信は、次第に疑問へと変わっていった。

鉱山町エンキャンプメントから始まる日常の記録
ローラ・ウェッブ・ニコルズは1883年、アメリカ・ワイオミング州エンキャンプメントの鉱山町に生まれた。13歳で日記を書き始め、16歳で初めてカメラを手にしてからは、家族の農場での暮らしや周辺の日常を記録していく。
そして、1906年という早い時期から産業記録や家族写真を請け負い、写真家として働き始める。
銅産業が崩壊した後もニコルズはエンキャンプメントに留まり、家族を支えるために写真撮影や現像サービスを提供する「ロッキーマウンテン・スタジオ」を設立。1920〜30年代には町の中心的存在として活動し、地域新聞「エンキャンプメント・エコー」やソーダファウンテン「シュガー・ボウル」も経営した。
1935年に母を亡くすとカリフォルニアに移住し、セントラル・バレーで再出発を試みる。ニコルズは20年以上にわたり、ストックトン周辺で住み込みの家政婦や介護人として働き、最終的にストックトン児童養護施設で定職を得た。1955年に夫を亡くした後は、再びエンキャンプメントへ戻り、最後の住まい「Heap-O-Livin’」に移り住む。1962年に自宅で亡くなるまで執筆と写真撮影を続け、生涯で約24,000点のネガと65年分に及ぶ日記を遺した。
ニコルズのポートレート(1930年撮影)
出版社と編集者・ヒルの英断
本書は、2021年に同じくFw: Booksから刊行された『Encampment, Wyoming: Selections From The Lora Webb Nichols Archive 1899–1948』に続く写真集である。ぼくは今回の新刊で初めて彼女の写真に触れたが、前作の時点ですでに広く注目を集めていた。その写真集はアルル国際芸術祭をはじめとする著名な写真集賞にノミネートされ、多くの作家が年間ベストブックに選ぶなど、大きな成功を収めている。
今作も前作と同様、クラシカルな布張り表紙に写真を貼り付けたデザインを踏襲している。表紙を開けば序文を挟まず本編が始まり、親密で謎めいた魅力を持つ写真がテンポよく、時に調子を外すようなリズムを加えながら、単調さを避けた見事なシークエンスで展開される。そして最後には編集者ニコル・ジェーン・ヒルによる、ニコルズの手紙や日記を引用した素晴らしいテキストが収録されている。
こうした構成手法は、カタログ的な写真集に対する反発から生まれた現代の写真集の好例と言える。しかし単にマナーを守るだけでは、予備校の答案のように「正確にポイントを押さえただけ」の本になりがちだ。本書を、そしてニコルズの作品をここまで魅力的なものにしているのは、文脈にあえて逆らった編集方針にこそ理由がある。その立役者が、版元のFw: Booksであり、そしてニコルズ・アーカイブの保存と運営に携わり、前作と本作を編集したアメリカ人アーティストのニコル・ジェーン・ヒルである。

写真集の文法で語り始めるニコルズの写真
ニコルズが世を去ってから16年後の1978年、ヒルはオハイオ州トレドに生まれた。ノバスコシア芸術デザイン大学で写真を学び、ノースカロライナ大学チャペルヒル校でスタジオアートの修士号を取得。現在はカリフォルニア工科大学ハンボルト校の芸術・映画学部長を務める。2013年からは、1960年代にニコルズと共に暮らしながらアーカイブを守ってきたナンシー・アンダーソンと共に、膨大なネガのデジタル化や日記・手紙の復元、恒久的な保管体制の構築に取り組んできた。
もちろん、ニコルズのデビュー作となった前作が反響を生んだ最大の理由は、彼女の写真そのものの力だ。しかし、写真は撮影だけでは終わらない。プリントの選定、展示や写真集での構成、印刷サイズや方法など、数多くの選択を経て初めて「作品」となる。未完成のまま残されていた写真を作品として結実させたのは、編集者ヒルの功績にほかならない。
思い出して欲しい。本書に収録されたのは、24,000点に及ぶ写真のほんの一部にすぎない。その事実は言葉にすれば驚くべきものだ。American Heritage Centerで公開されているアーカイブを見れば、選び方次第で作家像がいかに変わり得るかを実感できるだろう。写真を選ぶ際には必ず方針が必要であり、その方針こそが本書を単なる歴史的資料カタログから差別化している。
前作が出版された際に賞賛を送った写真家のひとりが、アメリカを代表する写真家のアレック・ソスであった。ソスはヒルの編集を「勇気ある行為」と評している。歴史的な重要性が伴うものを扱う場合、そこには一定の責任が伴う。そのため通常、この時代の写真は歴史的側面が重視され、資料的なカタログに終始する。しかしヒルはその資料性をあえて無視し、Fw: Booksが現代的な写真集として仕立てた。
写真のシークエンス、モチーフのリズム、テキストの配置、ブックデザイン──本書と前作で行われている手法は、現代写真集の技法そのものであり、だからこそ過去の写真が現在のものとして蘇る。こうした編集方針は、歴史的文脈に縛られて作家性を押し殺すのではなく、ニコルズ個人の声を浮かび上がらせた。結果として100年前の写真でありながら、まるで現代作家の新刊のように響くのである。
ソスによるブックレビュー動画。
アーカイブでもファウンドでもない第三の語り
近年の類似する成功例として思い浮かぶのは、イギリス人写真家スティーブン・ギルが編集したオランダ人写真家ベルティアン・ファン・マネンの写真集『Let’s Sit Down Before We Go』である。ギルは写真集制作のスペシャリストであり、ゼロ年代後半より写真集ムーブメントを牽引した存在だった。それに対してヒルは必ずしも写真集編集に熟達していたわけではなく、彼女自身の作風もそうしたタイプではない。しかし本書は、写真のセレクトからレイアウトまで「完璧に」現代的な写真集として仕上がっている。Fw: Booksは本シリーズを通して、ニコルズという作家の魅力だけでなく、編集者としてのヒルの才能までも見出したと言えるだろう。
前作はニコルズの遺した写真のベスト盤であると同時に、アメリカ西部に暮らす女性写真家の視点から撮影された「アイコニックな」ポートレートを中心に収録した写真集だった。対して本作は、まるで自身が孫娘であるかのような視点、言い換えるならば家族アルバムに近い編集方針をもって制作されたと、ヒルは後書きで述べている。その点で、前作以上に写真集としての純度は高い。
一方で、彼女が語る「孫娘のような気持ちでロラの人生に寄り添った」という姿勢には危うさも潜む。というのも、「発見された」写真や作家の作品を編集する際には、主体がいつの間にか編集者にすり替わり、編集者がイタコ的に作家を「憑依」させて、作家を通した自分語りを始めてしまうケースも少なくないからだ。
見事な静物写真と絶妙なレイアウト。
では、なぜニコルズの写真はここまで自由で、生き生きとして見えるのか。その違いは感覚的に理解できるが、まだ言語化は難しい。ただひとつ言えるのは、ヒルがニコルズの固有名を損なわない方法で編集することに成功しているということだ。歴史的な記録としてニコルズの写真を扱った時点で、写真は歴史という巨大なアーカイブの一部に組み込まれ、無数に存在する資料のうちのひとつとして固有名が薄められてしまう。あるいは前述したように、発見されたものとして無意識に主体を損なった場合も、その固有名は薄まることになる。
しかしヒルは、ニコルズの写真を歴史の一部に組み込むのではなく、あくまで写真自体に物語らせることを「促す」存在として寄り添った。『Heap-O-Livin’』、に収録された写真は基本的に年代順に並びながらも、ときに前後させる構成をとる。この編集方法からもヒルの配慮が感じられる。結局誰かが編集する以上、主観の介入は避けられない。客観性を担保するには資料性を前面に出す方法があるが、それでは固有名は薄まり、写真は資料以上の存在にはならない。ヒルが本作で実現したのは、アーカイブでもなく、ファウンド写真でもない、確かにその時代を生きたニコルズの写真に寄り添うことで実現した、新たな語り方の可能性なのではないだろうか。
現代に響くニコルズの声
編集方針ばかりに触れてきたが、いうまでもなく、本作は瑞々しく、そして謎めいた素晴らしい写真群が何よりの魅力だ。本書は、彼女が生涯で築いた住まいの軌跡を追うように、理想主義的な少女から現実的で有能な女性へと成長する姿を映し出している。家族や友人、子どもたち、セルフポートレートや編み物コミュニティの人々のポートレートを中心に、読者はニコルズの人生そのものを辿るような経験をする。読み終えた後にはその魅力に取り憑かれることとなるだろう。
ニコルズの編集とFw: Booksの手腕により、100年ほど前の白黒写真は、カラー化以上に瑞々しく、現代的な響きを獲得している。日常の中に潜む世界と人生の不可思議さを映し出す写真集──本作もまた前作同様、即座にマスターピースとして受け入れられ、写真集史に確かな位置を占めるだろう。スナップ写真やポートレート写真のファンだけでなく、現代の写真集作りに関心のある人にとっても大きな発見のある一冊である。

Article by Yukihito Kono (24 September, 2025)

Title: Heap-O-Livin’
Artist: Lora Webb Nichols
Editor: Nicole Jean Hill
Publisher: Fw: Books, 2025
Format: Softcover
Size: 215 × 280 mm
Pages: 192
Language: English
Edition: First edition
ISBN: 9789083451091
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