【写真の価値】
写真は絵画や彫刻とは異なり、ネガやデータからいくらでも複製可能な性質を持っています。そこで、他の芸術ジャンルと同等のオリジナル性を作品にもたらすために採用されるのが「エディション制」です。
エディションとは、作品を事前に約束した数だけ制作しますよ、という取り決めです。そうすることで作品の信用性と希少価値を担保しています。
写真作品の場合は大体3部から5部のエディションが一般的で、多くて10部ほどです。生産数が希少性を担保し価値を決定づけるので、数が少なければ少ないほど値段は上がり、多ければ多いほど値段は下がります。
加えて重要になるのが作家の評価や知名度であり、それを踏まえて最終的な価値が決まります。他の物事と同じく、需要と供給のバランスで作品の価格は変動しているのです。(他にもプリントの年代や技法やサイズなど、さまざまな基準がありますが端折っています)
Framed print from "The Well Special Edition" by Nigel Shafran
今回のフェアで特集するのは、通常版の作品集に加えて部数限定でされたプリント付きの特別版作品集です。
その価値を見極めるためには、先ほどの指標とあわせて以下の4点を判断基準にしてみるといいと思います。
①発行部数/エディションはどのくらいの数か
②プリントのクオリティは高く、作家自体がプリントを監修しているか(サイズや制作技法を含む)
③サインやナンバリングが記入されているか
④通常盤や特装版はまだ市場で入手可能か
以上を踏まえて、今回展示しているマーク・シュタインメッツのプリント付き特装本の価値を検証してみましょう。
【マーク・シュタインメッツの特装本の価値】
【サンプルセールとは】
普段から作品集を定価で買ってくださる方々を尊重したい気持ちから、IACKは基本的にセールを行いません。
しかし一方で、セールをきっかけにより多くの人が作品集を購入して読む体験をしたり、顧客様たちによりお得に多くの作品集を楽しんでもらいたい気持ちもあります。
そこで、閲覧用に使用した本やダメージ本に的を絞り、作品を見ることが日常の一部となるように思いを込めて、IACKは文化の日のサンプルセールをスタートしました。
【そもそもサンプル本とは】
サンプル本とは言いますが、実のところ、基本的に作品集にサンプル本はありません。
IACKで中心に取り扱う個人規模の出版では、発行部数は少ないもので数十部、多くても一度の発行部数は数千部です。場合によっては閲覧用の在庫が用意されることもありますが、ほとんどの場合は仕入れた商品のうちの一冊を閲覧用として使用しています。その一冊は当然通常通りお金を払って仕入れた商品であり、また上述したような限られた制作部数のうちの一冊です。
この2点が、作品集を扱う書店が本を乱雑に扱われるのを嫌う理由のひとつです。
このような経緯で、仕入れた本のうちの一冊は新品として販売できません。(すでに出版社で売り切れになっている場合や、状態によってはそのまま販売することもあります。また書店によってその基準はもちろん異なります)
IACKのサンプルセールではそれらの本を「サンプル」としてディスカウントをかけ、またおまけとして一部の古書や希少本も少し割引をして販売しており、販売者にとっては完全な状態ではない本が渡る先を生み出し、消費者にとってはお得な価格で本を購入できる機会としています。
【本の状態について】
基本的に閲覧用のものにはプラスチック製のカバーをかけていますが、物理的にかけられないものや質感などが伝わらなくなると魅力が損なわれるものにはかけておらず、加えて手が追いつかずかけきれない場合もあり、それらの本は経年とともにスレやキズ、ヤケが生じます。
コレクションの目的で購入する場合は新品を購入されることをお勧めいたしますが、作品を鑑賞する目的であればサンプル本で全く問題はないと思います。
しかし、実際は新品同様のものもあれば、汚れがあるものもございますので、詳細を知りたい場合はご遠慮なくお問い合わせください。
【作品集を買うこと】
読みたい本、欲しい本を全て購入できる人はほとんどいないと思います。そのため、作品集を楽しむ、あるいは勉強する上で、店頭での立ち読みはとても大切な行為です。
店主も他店舗でかなり立ち読みをしますし、IACKでも立ち読みは歓迎しています。しかし、実際に作品集を購入し、自宅でじっくりと読むのと立ち読みをするのでは、作品の見え方や理解度が全く異なります。
私的な場で周りの目や時間を気にせず読むことができること、繰り返し何度も、時代を超えて好きな時に読むことができること、これが実際に買ってみることの重要な理由のひとつだと思います。
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現在ではイベント時期が重なることから文化の日ではなく、ほかの時期にサンプルセールを開催していますが、文化として作品を楽しむことが根付いて欲しいという志は変わりません。
サンプルセールは水曜日の24時までの開催です。この機会に作品集をより身近なところで楽しむきっかけとなれば幸いです。
IACK SUMMER SAMPLE SALE 2023
7月22日(土)0:00 〜 7月26日(水)24:00
www.iack.online/collections/summer-sample-sale-2023
https://www.iack.online/collections/books-2021/products/somersault-by-raymond-meeks
Nice by Mark Peckmezian
ベルリンを拠点に活動するカナダ人写真家、マーク・ペクメジアンのファースト・ブックは、過去5年間に旅先で撮影された500枚以上ものポートレート作品のなからセレクトされた117枚の作品を収録。近年多く見られるようなポートレート写真とは異なり、パクメジアンは人の表情がもつコミュニケーションの媒介としての機能に着目しています。その点においてはとてもオーソドックスなポートレート写真ですが、被写体のエスニシティの豊かさや漠然とした枠組みは自ずと同時代的な要素を感じさせます。また、画面一杯に顔を配置する撮影スタイルながらも僅かに映し出される背景にまで細かく気を配っており、その技巧的側面も見応えがあります。同様のスタイルで撮影を続けるのか、作家としての表現的飛躍を遂げるのか、今後の活動にも注目の作家のひとりです。
https://www.iack.online/collections/books-2021/products/nice-by-mark-peckmezian
Polder Viii, Tuindorp Oostzaan, Amsterdam 1920 - 2020 by Raimond Wouda
人口問題と労働階級の市民たちの生活環境を改善するべく、1921年にアムステルダム北部に建設されたガーデン・ヴィレッジ、「トゥインドルプ・オーストザーン」。本書は祖父母の代からそこで生活をしてきた作者が、その歴史と自らのルーツを探るために撮影した写真を中心に構成した作品集です。資料を織り交ぜながら展開するスタイルのドキュメンタリー/ジャーナリズムは今では既にフォーマットのひとつとして完成されていますが、本書はその型とは少々異なる表現手法を模索しているような気がします(いまいち言語化が難しいのですが…)。生活環境や労働環境を意識する機会が間違いなく増えている今だからこそ、読みたい一冊。なお、今年は「トゥインドルプ・オーストザーン」の建設100周年です。
https://www.iack.online/collections/books-2021/products/polder-viii-tuindorp-oostzaan-amsterdam-1920-2020-by-raimond-wouda
PLAY by Philippe Jarrigeon
フランス人写真家、フィリップ・ジャリジョンのキャリア15年目にして初の作品集となる本書は、これまでジャリジョンが撮影してきたさまざまなジャンルのパーソナル/エディトリアルワークや、その未公開カットからセレクトした写真を再構成して収録。イメージはどのように作られ、そして社会や人々はどのようにイメージに作用されるのかということを中心的なテーマとなっていますが、細かいことはさておきユーモアあふれる写真は見ていてとても楽しいです。そして単に代表作を集めた集大成的な作品集かと思えば大違い。本というフォーマットで作品を見せることをしっかりと意識して編集されています。細かく演出された写真と静物写真、風景写真が並べられることで、現実と作られたイメージの境界線が揺さぶられるような構成など、つい見逃しそうになるけれど目を凝らすと不思議な部分が見つかるという特徴は、まるで私たちの生きる世界そのものを表現しているかのようです。
https://www.iack.online/collections/books-2021/products/play-by-philippe-jarrigeon
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以上、特に気になった10冊をご紹介いたしました。
以下ページではその他タイトルも含めた2021年刊行作品集をご覧いただけますので、どうぞあわせてご覧になってみてください。
https://www.iack.online/collections/books-2021
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本書は、2004年に出版されたモノグラフ『Edited Photographs 1992-2004』の続編とみなすことも可能かもしれない。パートナーとの生活や息子の誕生を受けて編まれた『Edited Photographs1992-2004』と、家族の喪失を受けて編まれた『Dark Rooms』。しかし、一見似た体裁をとった2冊の相違はその内容のみにとどまらない。
「シークエンス(順序)」という言葉は、シャフランが自身の作品について語る際に最も頻繁に口にする言葉のひとつである。写真をもとの文脈から抜き取り順序付けることで効果的にみせること、そしてそれを一冊の本で行うこと。それこそが『Ruthbook』での彼の発見であった。本書では、直接的に類似性を指摘するような配置や端的な構成は取っておらず、むしろ各シリーズを独立したものとしても鑑賞できるよう、各シリーズのシークエンスはほとんど崩されていない。ここでは写真単位のシークエンス付けとシリーズ単位のシークエンス付けが同時に行われており、シリーズとしての独立性は保ちつつも、『Dark Rooms』というひとつの新たな作品へと昇華させるという異質かつ大胆ともいえる試みがなされている。
各シリーズの独立性と優位性を保ちつつ編集するモノグラフ的構造と、そこに別の視点を与えることで新たな作品へと昇華する構造。この入れ子構造は、『Dark Rooms』という作品にある種の語りづらさをもたらす。
本書がどのような一冊かを説明する際に「5つの未出版のシリーズを収録した一冊」と言った途端モノグラフの構造にとらわれるし、一度モノグラフという言葉にとらわれたが最後、これがひとつの新しい作品であるとは捉えづらくなってしまう。この構造はこの本から徹底的に一貫した物語性、あるいはドラマ性の排除を行っているのだ。このドラマ性の拒絶はナイジェル・シャフランという写真家が日常に潜む非日常性、我々が享受している日常風景のある種の不気味さ、不格好さを個人的な視点から捉える写真家であり、「日常性」や肩肘を張らない「さりげなさ」が作品において重要な要素であるという点からも当然の帰結として考えられよう。
ここではむしろ喪失を世の定め、生の一部として受け止めた上で前に進もうとする写真家の姿が浮かび上がってくる。いまならば断片的に思えた5つのシリーズにも関連性が見えてこよう。運ばれるということ、進んでいく時間、老いゆく定め、かつてあった存在、役割を失ったモノたち。そこでは淡々と、時と絡み合ったこの世の様が描写されている。
本書の冒頭には小さく、 “For my family, past, and present(家族、過去、そして現在に捧ぐ)” と記されており、そこに未来を表す “future”という言葉は見当たらない。写真家の取り組みとは現在から静止した時間(過去)へと接続することであり、その姿は、シャフランが本作を制作するにあたってのもうひとつの影響源として名を挙げる1946年公開のイギリス映画『A Matter of Life and Death(天国への階段)』で、天国の使者が自在に時を止めて現世へと関与するさまと酷似している。
しかしここで決定的に異なるのは、天界の使者が静止した時間に関与することができるのに対し、我々にはそうすることは許されていないという事実だ。我々に可能なのは、写真という欠片を介して過去へと接続しながら、その中にでもなく未来にでもなく、現在の中にこそ光を見いだすということである。
本書は部屋で眠る息子のレヴの写真と、日常の象徴である自転車の写真で幕を閉じる。シャフランが暗い部屋の中で何を見たのかは、明白であろう。それこそが『Dark Rooms』という作品を包み込む静かな力強さなのであり、彼にとっての写真のあり方なのだ。
突飛な手段を取るわけでもイメージと戯れるわけでもなく、伝統的な構造を用いつつ同時にさらなる昇華を模索した本書は、現代における写真集というメディアの新たな在り方を提示しているのかもしれない。
(This article was originally published on 22nd February 2017)
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Title: Dark Rooms
Artist: Nigel Shafran
MACK, 2016
Hardcover, 210 x 272 mm
180 pages
¥6,750 + tax
商品ページはこちら
前回は、IACKが作品集をセレクトする上で重視しているポイントをご紹介しました。今回からは、そのようにセレクトした作品集をどのように紹介していきたいと考えているかを少し。
【量とスピードをどのように捉えるか】
2010年代のアートブック/写真集ブームは、過去に例を見ない数の作品集と観客を生み出しました。しかしその反面、しっかりと鑑賞されることなく埋もれてしまった作品や、一時的ブームとして消費することしかできずに離れてしまった観客たちが多く生まれたことも事実です。
Vol. 1はこちら
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前回は、IACKが作品集をセレクトする上で重視しているポイントをご紹介しました。
1. ジャンルを問わず、まず第一に作品自体(内容)の強度が感じられるか
2. 作品集は展示同様に独立した表現形態であり、そのことを意識した作品作りが成されているか
3. 作品内容・表現手法・アウトプットのバランス
以上の3点は作品集を読む上でも有用な判断材料になり得ると思います。その他、作品自体が持つ文脈や歴史に照らし合わせて読むことも当然必要になるのですが、自分の好み以外の評価基準を設けて鑑賞するために、まずは参考にしてみてください。
今回からは、そのようにセレクトした作品集をどのように紹介していきたいと考えているかを少し。
【量とスピードをどのように捉えるか】
2010年代のアートブック/写真集ブームは、過去に例を見ない数の作品集と観客を生み出しました。しかしその反面、しっかりと鑑賞されることなく埋もれてしまった作品や、一時的ブームとして消費することしかできずに離れてしまった観客たちが多く生まれたことも事実です。
なぜそのような事態に陥ってしまったのか。その原因として真っ先に思いつくのは、「制作量が多すぎた」ということです。しかし、当然事態はそれほど単純ではありません。
確かに近年は、「質の悪い作品集が大量に作られすぎている」と言う小言が出てくるほどに多くの作品集が制作されていますが、その量が実現したのは出版に対するあらゆるハードルが下がったからであり、また作品集というメディアに対する認知度が今一度高まったからだということを忘れてはいけません。それ自体はどう考えても悪いことではありません。
ぼくはむしろ、原因は量や質よりもその速度にあったのではないかと思います。
もう少し掘り下げてみましょう。これまでの話を踏まえると意外かもしれませんが、10年代ではむしろ速度を落として制作数を減らし、より丁寧に作品としての作品集を制作する方針が主流でした。*注
では一体なぜ量が増えたように感じるのか。それは独立系出版社や自費出版の数が増加したためです。出版社単位での制作数は減った一方で、制作人口が増えたことにより市場に出る作品集の総数が増加、結果として常に新刊が出版されているように感じられたのではないかと思います。
話をクリアにするために整理してみましょう。
時代に応じて問題となる量やスピードの対象は変化しています。以上のように、この先議論を進めるには、より広い視点で事態を捉える必要があることをご理解いただけたのではないかと思います。
ではこのような状況下において、制作者と観客を繋ぐIACKができることは何か。それは独自の時間軸の構築であり、「ちょうどいい」言説の提供なのではないかと考えています。
(つづく)
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*注1:10年代の写真集作りを牽引したロンドンの出版社「MACK」は、これまでの作品集の出版ペースが早すぎると感じ、年間制作タイトル数を減らした丁寧な作品作りへと向かった。大量生産のカタログから民主的な作品としての作品集へ。その姿勢は10年代のスタンダードとなり、多くの出版社に影響を与えた。https://imaonline.jp/articles/interview/20161209michael-mack_1/#page-1
闇に沈む山々に浮かぶ岩石とコンクリート。表紙から既に不思議な世界観が窺い知れるが、作品集自体もそれに負けず劣らずなデザインだ。赤橙色のハードカバーを開くと、ブロック状に左右に振り分けられた二冊の作品集が現れる。上部がメモパッドのように綴められており、縦開きの仕様がこれから広がる異質な世界を予見させる。
イタリア人写真家のマッティア・バルサミーニ(Mattia Balsamini)は、撮影のために各地を飛び回る生活を送っていた。しかし、COVID-19の世界的な流行の影響により撮影のための移動はおろか日常的な行動も制限され、大半の時間を自身のスタジオで過ごすようになる。たっぷりとできた時間を使って何か新しいことができないだろうか。この状況を好機と捉えたバルサミーニは、これまでに撮影した写真やアーカイブを掘り起こし、本人曰くまるでトレーニングのように繰り返しそれらのイメージと向かい合うことに時間を費やした。
そうして完成した本書は、そのプロセスをそのまま体現しているとも言えるし、あるいはまだ完成途中であるかのような広がりすら感じさせる。各ブロックは完全に独立しているわけではなく、左右に関連性のあるイメージが配置されていたり、ブロックを跨いで一枚の写真が収録されているものもある。ひとつの作品をふたつのブロックに分けることで、読者は作者があらかじめ決めたシークエンス(流れ)をなぞるのではなく、自由な順序でページをめくることとなり、その結果各人各様の写真の組み合わせで読み進めていく構造となっている。
目を凝らしてみると、単に撮影した写真をアーカイブとして掘り起こしているだけでなく、手持ちの資料やメモ書き、複写やコラージュが織り交ぜられており、表紙の写真もバリエーションの一部として制作されていることがわかる。一貫性を保ちながらも多彩さを感じさせる写真の背景には、かつてハリウッドの商業写真家やファッション写真家の元でアシスタントとして働き、その後イタリアで最初の建築学校建であるIUAV大学と、トリノのヨーロッパ・デザイン学院で教鞭を執ってきた彼のユニークなキャリアがある。
アメリカとイタリアは特出した芸術的写真表現の歴史を有する国であり、それぞれ独自の文脈を形成しているという点において共通している。そのふたつ文脈を受け継ぐバルサミーニの作品には、複雑なシークエンスを構築する現代アメリカ写真の文脈、そして視覚文化/視覚言語の探求としての現代イタリア写真の影響が色濃く反映されているように思われる。
しかしながら、このような種類の作品に対しては以下のような批判を想定することもできる。この作品集は単に脈絡のないイメージをかき集めて連想ゲームのように組み合わせ、そして「偶然性」という耳障りのいいフレーズでパッケージングしているだけではないか。作品の社会性や主張は一体どこにあるのか、と。
本書の奥付には大変控えめに以下の文章が差し込まれている。
「本書は1979年4月17日、シカゴの『Facetsマルチメディアセンター』 にて、映画評論家のロジャー・イーバート(Roger Ebert)が映画監督のヴェルナー・ヘルツォーク(Werner Herzog)とともに開催したワークショップ、『Images at the Horizon』に登場するヘルツォークのステートメントへのしがないトリビュート作である。ふたりの対話は、私たち自身の深い内なる声を表現する純粋で絶対的なイメージの必要性と、そのために挑み続ける必要性に関する話題を軸に展開した。」
一見したところ、本書はイメージの組み合わせがもたらす効果と可能性を追求した作品集のようにも見える。(実際にタイトルもそのような解釈を誘っている)しかし奥付のテキストからもわかる通り、本作はこれまでとは異なるライフスタイルを送らざる得なくなった作者が、この機会に自分の心の声に耳を傾けるために、自身の歴史そのものとも言えるアーカイブと向かい合った、極めて私的な作品なのである。縦開きのブロック状の形態は、写真の組み合わせゲームというよりも、ページを捲るごとに奥へ奥へと、「深いうちなる声」を求めて潜航していく様子を表現するための構造なのだ。
整理すると、本書は以下のような構造になっている。
デザインがあまりにも特徴的なため、本書を読み終える頃にはつい忘れてしまうが、本書の動機と社会的背景にはCOVID-19のパンデミックがある。皮肉なことに、COVID-19はこれまでSNSやメディアが目指していた、国境と文化を超えた同時代性を瞬く間に実現してしまった。
現在制作されるあらゆる作品には、程度の違いこそあれど、常にその強烈な同時代性が差し込まれる。しかし、ただ記録として時代を捉え、共感を求めることが現代の写真家たちの仕事だろうか。そうではなく、本作のようにその表現方法を同時に探究する作品を未来に向けて残すことこそが、表現者としての写真家たちには求められているのではないだろうか。
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Title: In Search of Appropriate Images
Artist: Mattia Balsamini
Skinnerboox, 2021
Hardcover with two blocks
190 x 265 mm, 160 pages
Designed by THINK WORK OBSERVE
First edition of 750 copies
ISBN: 978-88-94895-42-1
¥5,500 + tax
商品ページはこちら
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6/9 追記
【Further Reading List】
さらに読み込みたい方に向けて、本書とあわせてご覧いただきたい作品集リストを制作しました。文脈理解の参考にどうぞご覧くださいませ。
https://www.iack.online/collections/further-reading-contemporary-american-and-italian-photobooks
そこで初めに、「どのような作品集を、どのように紹介していくか」という、IACKの根幹に関わる部分を再確認することにいたしました。
まずはお客様にも頻繁に尋ねられる前者から。IACKでは以下の点を特に重視して作品集を選んでいます。
全ての作品に必ずしも当てはまるわけではありませんが、以上は設立当初から重視しているポイントです。
基本的に、作品集を読むときは本それ自体のデザインや細部よりも、まずは収録された作品自体をしっかりと見るようにしています。無論、デザインが素晴らしい本や見ているだけで様々な感情を刺激する本も多く存在しますし、実際に表紙から内容に興味を抱くことも多々あります。しかし、長く自分の中に残ったり、時代を問わず輝き続ける一冊には必ずと言っていいほど作品自体の力強さがあります。外見が優れている作品集は、その見た目になるまでにしっかりと段取りを踏んでいるが故にその外見になっており、それこそ作品がうまくアウトプットされていると呼ぶべきなのだ思います。
そして、バランスは単純なようで奥が深い要素です。「作品内容」は文字通り作品自体のことであり、「表現手法」は作品テーマやコンセプトをいかに表現しているか、「アウトプット」とは例えば印刷、用紙、レイアウト、デザインなどの本としての落とし込み方を表します。単にバランスが均等であればよいわけではなく、いかに数値を振り分け全体のバランスを保つのか、あるいは新たなバランスに挑戦しているかというところが見所です。
たとえ作品内容が優れていても、それを表現するための手法や最終的にブックデザインが蔑ろにされており、「8:1:1」のバランスだと良い作品集とは呼べないでしょう。あるいはデザインが完璧だとしても「1:1:8」だとどうでしょうか。一方でバランスの取れた「4:3:3」の作品だけが正解かというと、そうでもない気がします。なお、この比率は優劣を表す数値ではなく、最終的な形態からどれだけ各要素を感じさせるかの指標と捉えてください。
作品の良さや性質は本来数値化できるものではありません。しかし、このような基準は作品の文脈/歴史と同じくらい客観的で重要な判断材料にもなり得ます。例えば、ぼくがいくら「良い作品集」について論じていても、それが単なる好みに基づいた「良さ」であればあまり説得力がありませんが、その「良さ」を客観的な要素に置き換えて話すだけでも幾分か伝わりやすくなるわけですから。
(つづく)