植物と占有の記憶──ヴィクトワール・ティエレ『Okinawa!!』をめぐる対話
Cover of "Okinawa!!" (RVB Books, 2025) ©︎Victoire Thierrée
フランス人アーティスト、ヴィクトワール・ティエレによる写真集『Okinawa!!』は、2025年にRVB Booksより刊行された。本作は、沖縄の米軍基地周辺で撮影されたモノクロ写真と、1951年から数年にわたり沖縄で採集され、現在はスミソニアンのアーカイブに収蔵されている植物標本の写真によって構成されている。
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東松照明との出会い
河野幸人(以下 YK):まずは、このプロジェクトの出発点から伺いたいと思います。ヴィクトワールさんは東松照明の作品を通して沖縄に関心を持つようになった、という理解で合っていますか。
ヴィクトワール・ティエレ(以下 VT):はい、その通りです。
東松照明の作品を知ったのは、2013年に初めて日本に来た時でした。東京の写真ギャラリーでインターンをしていたのですが、そこは東松照明を扱っていたギャラリーで、現在は彼の作品管理も行っています。私が到着した時、東松は亡くなったばかりでした。
そのようなタイミングだったこともあり、ギャラリーのテーブルには彼の写真集がたくさん積まれていました。私が日本で最初に出会った写真家が、東松照明でした。特に『OKINAWA 沖縄 OKINAWA』は、本当に大きな衝撃でした。
Cover of "OKINAWA 沖縄 OKINAWA" (Shaken, 1969) ©︎Shōmei Tōmatsu
当時の私はまだとても若く、23歳くらいだったと思います。すでに軍事的な領域に関心があり、フランスでもそうしたテーマに取り組んでいました。なので、沖縄は私にとって非常に興味深い主題であり、土地でもありました。ただ、実際に作品にするまでには何年もかかりました。重要な場所だと感じていたからこそです。
YK:それで沖縄には何度か撮影に行かれたのですか。
VT:実際には、このプロジェクトのために沖縄へ戻るまで、そこから7年かかりました。
まず美術大学を卒業し、それからこのプロジェクトについて考え始めました。私は少し時間がかかるタイプで、作品が自分の中でしっかりと育っていく必要があります。その後、制作のための資金を探す必要もありました。最終的にはフランスの公的な助成を受けて、沖縄に行き、プロジェクトを進めることができました。
撮影は2019年9月に一度だけ行いました。2つの台風の間の滞在でした。
ドキュメンタリー写真の伝統から距離を取ること
YK:ではまず写真集について伺います。
この作品は、米軍基地周辺で撮影された写真と、スミソニアン・アーカイブに収蔵されている植物標本の写真から構成されています。
モノクロ写真の粒子感は、どこか東松照明の写真を少し思い出しました。ただ、東松がある意味被写体に寄り添い、よりドキュメンタリー的、あるいはジャーナリスティックな方法で撮影しているのに対して、ヴィクトワールさんの写真には常に一定の距離があるように感じました。
沖縄を撮影するにあたって、さまざまな方法があり得たと思いますが、なぜこのような作品制作のアプローチを選んだのでしょうか。
VT:このプロジェクトのために日本に来た時、私は東京都写真美術館の図書室へ行き、東松照明の写真集をすべて見せてもらいました。彼は写真に撮影地をタイトルとして記していたので、私はそれらをもとにロケーションのリストを作成しました。それが、私の沖縄地図になりました。一人で、少し怖くもありました。このプロジェクトが本当に良いアイデアなのかどうかも分かりませんでした。
だから、ひとまず東松が基地の周辺で撮影した場所をGPSに入れて、そこから撮影を始めました。
すぐに感じたのは、縦構図だけで撮影したいということでした。ドキュメンタリーの伝統から抜け出し、また東松の素晴らしい軌跡から少し離れるために、プロトコル、つまり撮影する上でのルールを作る必要があったのです。
そこで、私は現代に生きるアーティストであり写真家として、縦構図に集中しようと決めました。6×9のカメラで撮影していたので、横位置で撮るとポストカードのような美学に近づいてしまう。それは避けたいと思いました。
最初の3枚くらいは横位置で撮ったと思います。でもやはり、一目見て「これはうまくいかない」と感じました。そこで、縦位置だけで撮影することに加えて、太陽が最も高い時間帯、だいたい正午から午後2時の間だけ撮影することを決めました。非常に硬い光と強いコントラストが欲しかったからです。さらにフィルムを少し増感して、日本の写真が誇る荒い粒子感と黒色を出そうと試みました。
Spread from the book "Okinawa!!" ©︎Victoire Thierrée
それは、気温50度、湿度100パーセントのような環境の中で、とても素早く下した判断でした。事前に計画していたわけではありません。ただ、このプロジェクトを自分なりのやり方で進めるためには、判断を下さなければならないと強く感じていました。
また、人を撮らないことも決めました。滞在期間がとても短かったので、作品の中に人を含めることに正当性を感じられなかったのです。
スミソニアン・アーカイブと植物標本
YK:植物標本についてはどうでしょうか。
VT:まず沖縄から戻ってきた時には基地周辺で撮影した写真シリーズができていたわけですが、実際に東京のラボにフィルムを送り、コンタクトシートが戻ってきた時は、「ああ、よかった」と心から安心しました。フィルムなので、カメラがちゃんと動いていたかどうかも分からない。すべてがうまくいったのかどうかも分からない。今考えても、本当にすごいことです。私はフィルムで撮影するのが好きですが、心臓にはとても悪いです。
一度の滞在と撮影で何かを掴んだという感覚がありましたが、それだけでは十分ではないとも感じていました。そして長い間、もう一度沖縄へ戻るべきなのか、もっと米軍基地を撮影するべきなのかと考えていました。そして、なぜそうする必要があるのか、と。
そして2023年に、Villa Albertineというフランスのアーティスト・イン・レジデンスのプログラムに応募しました。私はその新しいプログラムに採択され、アメリカに行くことになりました。そこでワシントンへ行き、1951年から沖縄で植物を採集していた科学者、植物学者について調査することにしました。彼は陸軍省のために植物を採集していた人物です。
戦後間もなく、彼らは沖縄に来て6年間にわたり植物を採集し、この美しい植物標本を作りました。私はそれに、ほとんど制限なくアクセスすることができました。興味深いと思ったのは、戦後わずか6年しか経っていない場所で、6,000点もの植物を採集するプロセスに含まれている暴力を、アメリカが見ていないように思えたことです。沖縄戦は民間人も巻き込んだ、非常に凄惨な戦いでした。彼らは避難させられていなかった。
植物標本は、誰もが好きですよね。そこにはある種の素朴で美しい美学があります。だから、美しさ、醜さ、暴力が同じ場所に存在している時、私はそこに強い興味を持ちます。最初に人を惹きつけ、その後で少し暗いものについて語り始めるものに、特に関心があります。私の作品はすべて、そうしたことに関係しています。人を惹きつける、この本の緑色の表紙デザインも同様です。
話が少しそれましたが、アーカイブに連絡すると、「大丈夫です。ただし、植物は10点選んでください」と言われました。私は「いえ、60点選びます」と答えました(笑)。そこからメールで交渉が始まり、最終的には30点か40点くらいで合意したと思います。正確な数は忘れてしまいました。
そして予約を取り、とうとうドアが開きました。私はそこで3日間撮影しました。その2日前には、ワシントンの国立公文書館へ行き、その植物学者の人生について調べました。タイプ打ちされた手紙だけでしたが、そこには彼の人生の全体がありました。私は探偵のように、その人物を理解しようとしていました。だから、彼の精神状態のようなものを抱えたままアーカイブに行き、135mmフィルムカメラで撮影しました。
そして戻ってきた時、私は自分の物語全体を手に入れたと感じました。自然を通したアメリカと日本。そして、紙に貼り付けられた植物の写真です。
アーカイブのデータベースで画像を見た時、植物を固定しているテープが、モノクロでは私にとって非常に面白いものになると分かりました。それは切り傷のように見えたからです。植物が大きすぎる時には、まるで皮膚を縫うように、糸が使われていました。今回の主題を語る上で、これは本当にすごい発見だと思いました。問題は、6,000点の中からその30点を選ぶことでした。
Spread from the book "Okinawa!!" ©︎Victoire Thierrée
写真集と展覧会
YK:展覧会と写真集について伺いたいと思います。
先日京都で本作の展示を拝見しましたが、写真集とは少し異なる印象を受けました。写真集では本自体の構造上、つまり左ページ、右ページがあり、中心にボーダーがあることによって、軍事的な写真と、植物標本や自然の写真の二項対立が強く感じられます。一方展示では、とても小さなプリントを、非常にクラシックな額装で見せていました。そのため、本ほど二項対立を強くは感じずに、写真と写真の間にある空間やより自由な読解を許容しているようにも感じました。
展覧会と写真集の違いについては、どのように考えていますか。
VT:『Okinawa!!』について最初に取り組んだのは写真集でした。このプロジェクトの大きな展覧会を行う前に作ったものです。写真集は、多くの意味や秘密を持つ、独立したオブジェとして考えていました。
沖縄で撮影した写真はすべて、白い余白の中に置かれています。それによって、写真にある種の特別な位置づけが生まれています。一方で、植物標本は全面に配置されています。飛行機の写真も全面です。これらのレイアウトには、私は最初、植物のコレクションではなく昆虫のコレクション、つまり昆虫学のセクションにアクセスしたいと依頼していた経緯が関係しています。でも、スミソニアン側から撮影の了承を得られなかったのです。
沖縄から昆虫が持ち帰られていたことは知っていますし、それを撮影したいと思っていました。まったく別の主題ですが、最初の気持ちとしてはそうでした。だからそのリベンジのように、本の中では軍用機を昆虫のように、植物のように、全面に配置しました。
Spread from the book "Okinawa!!" ©︎Victoire Thierrée
この本には多くのレイヤーがあります。タイトルも非常に重要です。東松照明が写真に撮影地を記していたように、私もこの本の中に、場所の名前や植物のラテン名を入れることにしました。植物の名前をGoogleで検索すれば、生きている植物を見ることができます。一方で、本の中には死んだ植物がある。あるいは、基地がどこにあるのかを知ることもできます。私にとっては、そのすべてが重要でした。
表紙の緑は、植物学者E.H. Walkerの資料から来ています。彼の生涯の仕事である、琉球列島の植物に関する本です。その表紙は濃い緑色で、本を開くと、2ページ目に鮮やかな緑が現れます。それを見た時、「この緑で何かをしよう」と思いました。その時は、それが何になるのかまったく分かっていませんでした。本ができる2年か3年前のことです。
RVBと表紙について話した時、「この緑を表紙に使えますか」と伝えました。また、表紙にある小さな点は、沖縄の古い地図から採りました。沖縄の周囲の海です。完璧ではありませんが、どこか毒のある植物のようにも見え、人を惹きつけます。
表紙は光沢のあるものにしたいと思っていました。沖縄の湿度を思い出させるものにしたかったからです。また、それは私がとても好きな荒木経惟の1992年の写真集『Erotos』へのオマージュでもあります。『Erotos』には、美しい赤みがかったオレンジ色の、粘着性のあるような表紙があり、中はモノクロです。それをすぐに見せて、「これがリファレンスです」と伝えました。
ただ、これは私にとって初めての本だったので、正直どこに向かっているのかまったく分かっていませんでした。サイズについては出版社が考えてくれました。私には分かりませんでした。複雑すぎたのです。
タイトル案については、出版社がタイポグラファーに依頼して提案してもらいました。最初の案はPROVOKEに近いものでしたが、私はPROVOKEに寄せすぎたくありませんでした。そして、最終的に選んだタイトルは、もちろん東松照明へのオマージュでもあります。ただし、『Okinawa, Okinawa, Okinawa』ではなく、『Okinawa!!』──まるで叫びのようなタイトルです。
また、本を自分の写真から始めたくありませんでした。「私はそこへ行き、これをしました」という始まりにはしたくなかったのです。自分を前面に出しすぎたくありませんでした。そこに、暗さのレイヤーを加えたかったのです。
最初のイメージは、アメリカのプロパガンダ本の中で見つけたもので、火炎放射戦車の写真です。インターネット上では、アメリカの火炎放射戦車の写真をほとんど見つけることができません。まるで存在していないかのようです。沖縄では、それらは自然に対しても、人に対しても、数多く使われました。
私にとっては、その主題から始めることが重要でした。その写真の中でも、火炎放射戦車そのものはあまりはっきりとは見えません。兵士と、大きな炎が見えるだけです。私にとって、それがこの本を見るための視点です。そこには謎があり、暗さもあります。そしてキャプションは、アーカイブ写真に付けられていた実際のキャプションです。
その後に私の名前と作品が出てきます。でも最初にあるのは、地獄と楽園のコントラストです。私にとって沖縄とは、楽園と地獄が同居している場所なのです。
展覧会について言うと、沖縄の作品を最初に発表したのはフランスで、私にとって初めての美術館での個展でした。その時のプリントは、高さ2メートルほどの大きなゼラチンシルバープリントでした。アルミのフレームも自分で作りました。それが、最初にこの作品を見せたいと思った方法でした。
京都での展示は、すべてが違いました。2メートルのプリントを持ってくることが、現実的にできなかったからです。予算と空間の制約に対する解決策を考える必要がありました。そこで私はひとまずネガを持っていこうと考えました。
普段はプリンターと一緒に、つまりラボで人と一緒にプリントを制作しています。でも今回は、それが不可能でした。そこでネガ、薬品、印画紙を持ってきました。ほとんど暗室一式を持ち込むようなものでした。
京都の有名なコロタイプ印刷会社である便利堂が、滞在中のレジデンス・プログラムであるヴィラ九条山を通して、「誰も知らない白黒のラボがあります。そこをお使いいただくこともできますよ」と言ってくれました。そうして私は、便利堂にある白黒写真用のラボに入った最初の写真家になりました。
でも、私は美術学校以来、自分の写真をプリントしていませんでした。卒業してからはずっとプリンターと一緒に仕事をしてきたからです。便利堂のとてもプロフェッショナルなチームに囲まれた一方で、私はそのような状況です。私は、逐一こっそりと、ChatGPTで薬品の扱い方を確認しながらプリント作業をしました(笑)。
でも結果的に、暗室でのプリントはうまくいきました。私はとても懸命に作業して、40点のプリントを自分で制作しました。そして京都の個展ではその40点のユニークプリントを展示しました。サイズを小さくした理由は、先ほど説明した私の状況を考えるとお分かりいただけるのではないかと思います。そしてその結果、京都のためだけの特別な展示になりました。
フレームについては、とても細かく指定して制作しています。京都で良い額装屋を見つけるのに苦労し、最終的には東京のギャラリー「MISAKO & ROSEN」の額装を担当している方に作ってもらいました。彼らはとても親しい友人で、10年間一緒に仕事をしています。
マットは、写真の周囲に余白を大きく取りたいと思いました。植物標本の紙のようにです。植物はかなり大きな紙に貼り付けられています。また、特別な深いグレーにもしたかった。額装師には、きっとかなり面倒な依頼だったと思います。何度もテストを重ねてもらう必要があったからです。
これはひとつのまとまったプロジェクトと考えているので、今は作品をバラバラに売りたいとは思っていません。このセットを一緒に保管して、ひとつのプロジェクトとして美術館や公的なコレクションに収蔵したいと思っています。
YK:まさに私もそう感じました。余白を設けたマットに収められた小さなプリントはそれ自体オブジェのようで、どこか標本のように見えました。
赤津勇一、ベゴニア、そして読解のレイヤー
YK:次に、本の中のテキストについて伺いたいと思います。
本の中には、ベゴニアの花と、沖縄戦の生存者である赤津勇一という人物に関する、とても興味深い話が出てきます。その話についても少し教えていただけますか。
VT:本には2つのテキストがあります。ひとつは私が書いた短い文章で、本とプロジェクトの主題の大枠を示すものです。もうひとつは、私の友人であるジャン=イヴ・ジュアネによるテキストです。彼はフランスの作家であり、アーティストであり、パフォーマーでもあります。
彼はパリのポンピドゥー・センターで15年間、毎月、戦争について語るパフォーマンスを行ってきました。記録は残されないので、見に行かなければそれで終わりです。
彼は私にとって、アーティストとしても知的な意味でも、とても重要な人物です。初めての本を作るにあたり、私は彼にテキストを書いてもらえないかと頼みました。誰かにお金を払って、自分について書いてもらうことはしたくありませんでした。ある意味では、それは猥雑なことだと思います。「彼女はこんなに素晴らしいアーティストです」と書いてもらうようなことはしたくなかった。私はただ、「楽しんで、好きなことを書いてください」と伝えました。
ジャン=イヴの作品で面白いのは、彼が非常に綿密に資料に基づいていることです。彼のパフォーマンスは、ホメロスの『オデュッセイア』から1945年までの戦争を扱っています。彼はその主題に関する世界中の本をすべて読んでいるのではないかと思います。そして同時に、彼は事実の中にフィクションを発明します。舞台上で信じられないような事実を語りながら、時には意図的に嘘をつくのです。距離を作るため、狂ったような詩情を加えるため、あるいは個人的なものを加えるためです。
彼がこの本に書いたテキストにも、本当のことがたくさん含まれています。そして、実際には本当ではないことも含まれています。
面白かったのは、私たちがテキストについてまったく打ち合わせをしなかったことです。私は完成した時に初めてそれを読みました。その中で彼は、沖縄戦の時に沖縄にいた少年、赤津勇一について書いています。戦後、彼が生き延びて書いた本は、私にとってとても重要なものです。だからジャン=イヴが彼に触れてくれたことを、とても嬉しく思いました。私は自分のテキストでは彼について書いていません。私たちはそのことについて話していなかったのですが、同じ参照点と関心を持っていたのです。
YK:最初にこの本を見た時、私は特に日本人として、これは政治的な作品だと感じました。領土についての作品なので、被写体とヴィクトワールさん自身との間にある距離も感じました。
しかし、このテキストを読んだ後で、この本の印象が少し変わりました。ジャン=イヴさんは、赤津が押し花を作り、それがお守りになったと書いています。それを読むと、本来は暴力的な背景を持つ植物標本が、一転してまるでこの写真集に挟まれた押し花のように見え始めました。
そして今お話を色々と伺っていると、本作には、ティエレさんから沖縄へ向けられた祈りのようなものも感じました。
VT:私は作品の中に、多くのレイヤーを組み込むことが好きです。
沖縄は非常に特別な土地です。私はちょうど沖縄から戻ってきたところですが、そこをきちんと理解するには何年もかかるだろうと感じています。今は沖縄の人々と出会い始めています。そこに至るまでには時間がかかりましたが、その土地を心から理解するためには、とても重要なことです。
写真は、冷たいとは正確には言えないかもしれませんが、扱っている主題がとても大きいのだと思います。そしてそれは、私の作品全体に共通しています。私の作品のほとんどは、軍事的な問題、兵器産業、軍事的な領域に関するものだからです。
これらの主題について語ることは、フランスでもどこでも、いつも難しいことです。繊細に、しかし同時に確固として語る必要があります。
それを続けて、もう15年になります。ジャン=イヴが言ったように、それは執着です。彼にとっても執着であり、私にとってもそうです。おそらく、これは私の人生全体にわたるものになると思います。
だから、この本は私にとって多くのことについての本です。そして見る人は、そこに見たいものを見ることができます。
YK:15年ですか。
VT:はい。今回もまず初めに撮影したのは飛行機でした。
軍用機を撮影するのは簡単ではありません。とても速いですし、どこに立つべきかを知っていなければなりません。「たまたまコーヒーを買いに行っていて、偶然F22を撮れた」というように見えるかもしれません。でも、実際はそうではありません。
光も重要ですし、場所も重要です。私は「ここに立ち止まって撮影する権利はありません」と書かれた看板の前で撮影していました。「なるほど、だけど2分だけいいですか」という感じでした。
嘉手納基地の周りを回り、どの飛行機が離陸準備をしているのかを見ていました。そして、風向きが分かったので、そこへ行くために必死に運転しました。飛行機は海の方へは離陸せず、反対側へ向かうと分かったからです。
だから運転して、止まって、ドアを勢いよく閉めて、撮影しました。
時間が経つにつれて、音も含めてすべて分かるようになりました。いつ離陸するのか、どの機種なのかもかなり分かります。前回行った時には、それがF35なのかF22なのかまでは分かりませんでしたが、何機いるのかは分かりました。撮りながら数えていました。「1、2、3、4……」すると、また別の1機が動き始めたことに気づきました。
10機が離陸しました。信じられない光景でした。そんなものは見たことがありませんでした。まるで戦争のようでした。
Spread from the book "Okinawa!!" ©︎Victoire Thierrée
これは15年にわたる執着の結果です。私にとって戦闘機は昆虫、危険な昆虫です。
そこには経験があり、技術的な側面があり、その場に居合わせることも必要です。そして、若いフランス人写真家として、アメリカの軍事基地を撮影するということは、厳密には許可されていることではありません。だから、あまり多くのことを自問している余裕はありません。
だから、見た目よりもずっと難しいのです。
フィクション、文学、ドキュメンタリー作品
YK:もうひとつ質問してもいいですか。
先日、アメリカ人写真家のダニエル・シェアとトークを行ったのですが、彼にも似たような質問をしました。彼の最新作『Distribution』には、短編小説が収録されており、現実的なテーマや内容にフィクションを持ち込む点において、構造上、近しいものがあるように感じました。
このようなドキュメンタリー的な作品に、フィクションや文学が組み合わさることの力について、どのように考えていますか。
VT:物語を語ること、そして自我から離れることは興味深いと思います。
アーティストについてのテキストの多くは、本当につまらなかったり、とてもコンセプチュアルだったりします。私はそこに陥りたくありませんでした。ジャン=イヴに頼むことで、彼が強い資料性と、より実験的なものを持ち込んでくれることは分かっていました。
この主題について言えば、彼が太平洋戦争について非常によく知っていることも分かっていました。だから私は、背景を持っていて、同時に少しおかしなこともできる人に依頼しているという感覚がありました。
私は映画でもドキュメンタリーが好きですし、私自身も映像作品を作りますが、それらは常にドキュメンタリー的な美学を持ちながら、とても実験的です。私はその両方が好きです。
基地に行くと、私は普通レンズを向けないであろう奇妙なものに焦点を当てます。基地の中にいて、そこに映っているのは実際の基地です。チームと一緒にそこへ入るために、かなり無茶なことをしなければならなかったかもしれません。でもその後で、私は隅にある何かに焦点を当てます。人々は「何でこんなところを撮ってるの?」と聞きますが、私は「それが何の問題なのだろう」と思います。私は国営テレビのように取材し、情報を提供するためにそこにいるわけではありません。
現実とフィクション、実験、あるいは詩が出会う時が好きなんです。
だから作家や誰かに、自分の主題の周りでテキストを書いてもらうことは、一歩横にずれる良い方法になり得ます。作品について語るための方法です。
YK:それは本当に重要だと私も思います。
VT:それに、人格化から離れる助けにもなります。
私の作品は私についてのものではありません。もちろん、さまざまなレイヤーの中で自分自身についても語っています。でもヨーロッパでは、いつも自分自身について語らなければならない。私が最もよく聞かれる質問は、「女性として、なぜこのようなことについて語るのですか」というものです。私はその質問に正直飽きています。今回聞かないでいてくれたことに感謝します。
私は初めての本で、人格化に焦点を当てたくありませんでした。「私はこれをしました」とか、「私はこんなに優れています」といったものではなく。また、「この作品はこれです」「このアーティストはこうです」と言って、物事を箱に入れることもしたくありませんでした。
閉じるのではなく、開くものにしたかったのです。
実用的な道具としての写真集
YK:最後に、この本をすでに読んだ人、あるいはこれから読む人に向けて、伝えたいことはありますか。
VT:もう十分話しすぎましたね。
分かりません。あえて挙げるとすればページについてでしょうか。私はどうしてもページ番号を入れたかったのです。私にとって本は実用的な道具だからです。スタジオで日常的に使い、写真の名前を思い出すために開きます。その名前が本当に複雑だからです。
写真家として、私にとって写真集は実用的な道具です。スタジオには大きなコレクションもあります。私はいつも本に戻り、テキストを確認します。本全般が私にとって非常に重要です。多くのプロジェクトが本から始まりました。映画のタイトルも本の中で見つけたことがあります。作品のタイトルが分からない時も、本に向かいます。
だから、この本には、ただテーブルの上に置かれているだけではなく、実用的な道具になってほしいと思っています。あまり神聖化されすぎないでほしい。この本を手に取ってくれる人がいるなら、それが願いです。
YK:ありがとうございます。残念ながらレジデンスはもうすぐ終わってしまいますが、今後ここで制作されたものを見ることを楽しみにしています。
VT:ありがとうございます。

本稿はインタビュー動画、「IACK Conversations 01」(2026年7月9日公開)をもとに編集されました。
聞き手・編集:河野幸人(IACK)
▶ インタビュー動画(日本語字幕付き)はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=6-FBcoOXG8E
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