作品集を読む『Illuminance』(前編)
10年越しの再販となる川内の代表作は、日常がゆらぎの中にある昨今だからこそ手に取るべき作品集である。本書は「何気ない日常」を賛美するのではなく、その中で緩やかに連続する生と死、そして白昼夢のように形の定まらない世界の姿を提示する。 |
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2001年に出版された『うたたね』から10年。その世界をさらなる高みへと昇華させた川内の13冊目の作品集として、『Illuminance』は制作された。
そしてさらに10年後の2021年。日本の独立系出版社「torch press」とアメリカの写真機関「Aperture」によって、長らく絶版状態となっていた本書が装いを新たに再出版されることとなった。
あくまでオリジナル版を尊重した新版をコンセプトに、写真の構成や判型には変更を加えず、オランダの出版社「Fw:Books」を主催するデザイナー、ハンス・グレメンの手によってデザインの一部が刷新されている。また、追加収録された2本のエッセイは、発表から10年が経過した今作品を再読する上で大きな補助となるだろう。
Foil/Aperture版(初版)とtorch press/Aperture版(新版)。大胆に刷新されたカバーデザインに思わず目がいくが、文字周りにも注目してみると面白い。初版はイルミネーションを思わせるドットで組んだ文字であり、新版は光のあたり方によって色の見え方が変わるインクを採用。川内は制作当初本作のタイトルを「Iridescence(玉虫色)」にするつもりだったとインタビューで明かしているが、そのアイディアを形を変えて反映させたのだろうか。[*1]
Foil/Aperture版(上)とtorch press/Aperture版(下)。文字まわりのデザインも含めて、初版は光がきらめくような世界観を前提にデザインされており、モノとしての作品性が際立つ。一方で10年を経た新刊は見た目の派手さこそないが、一枚一枚の写真と作品を際立たせるようなデザインがなされた。
『Illuminance』は「照度」という意味を持つように、光という写真の命題に向き合った作品シリーズ。この世界に満ちている光と闇、そして生と死。美しさと同時に悲しさをも含有する川内倫子がとらえるそれらの断片は、時間や場所をも超えて、普遍とは何かを私たちに訴えかけます。崇高でありながらささやかに、私たちが見ているこの世界の新しい扉を開きます。- 『Illuminance』解説より |
照度とは、人間が感じる、平面を照らす明るさの心理的な物量を意味する。川内はそれを写真の根源的なテーマと捉え、「光」を題材に約15年をかけて撮りためた写真を一冊の本にまとめた。
『うたたね』と『Illumincance』は大枠としての世界観を共有しているが[*2]、この2作は一連のシリーズというよりも、むしろ性質の大きく異なる作品として捉えられるべきだろう。
前作では写し出された日常風景の主人として、あるいは「うたたね」をする主体として川内が作品の中心に君臨しているのに対して、『Illuminance』は光という現象そのものが主軸である。また、「ただ日常を撮った」[*3] と思わせる写真の数が減り、より断片的な印象が増したことも相まって、作家の人格や日常性と写真との硬い結び目は緩められている。
その結果、本書に収録された写真は時にストックフォト(写真素材)を連想させるほど匿名的で突き放した「イメージ」となっている。[*4]
Spread from "Illuminance"
また、日常に潜むさまざまな死の形をすくい上げている点は2作に共通しているが、解説からも明らかなように、『うたたね』では見慣れた光景を見知らぬ光景へと変化させる写真家/カメラの魔術性がより一層強調されており、加えて「生」を想起させるイメージが多く収録されている。[*5] そのため「生と死」の、言い換えるならば「日常と日常の終わり」のコントラストは強固なものとなり、それらは互いを苛烈に引き立たせる。
一方『Illuminance』では、川内らしい場面の切り取り方や現実の変容は変わらず行われているが、光という共通のモチーフによって断片的に撮影された写真が緩やかに連結されることで、生と死のイメージは対立構造に置かれるというよりも、それぞれが等価な現象として提示される。
Spreads from "Illuminance"
作家の日常風景の連続性から、世界の断片的なイメージの連続性へ。どちらの作品集でも「光と闇」や「生と死」という言葉が作品解説に用いられているが、本書の真髄はむしろ、夢と現実のはざまがゆらぐ「うたたね」状態のように、そのような対立構造で図ることのできない曖昧な状態こそがこの世界の姿であり、私たちの日常であるということを示すことにあるのではないだろうか。
(続く)
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[*1] リーナ・フレッチュ「日本写真史 1945-2017 ヨーロッパからみた『日本の写真』の多様性」2018年、201ページ
[*2] 「鯉、雲、カラス、カーテン、おじいちゃん、タイヤ、目玉焼き、蟻、蝶など、ただ日常を撮った写真集。なにげない風景、さもすれば見落としてしまいそうな草花や小さな虫たちに目を向ける。川内倫子のカメラを通すと、ただのグラスがキラキラ光る宝石になり、一匹の蟻がスタイリッシュに変身し、鳩の死骸が恐ろしくて近寄れない空気感を漂わせる。やさしさと隣り合わせに存在する怖さ。生と死を強く感じさせる一冊。」- 『うたたね』解説より
[*3] デイビッド・チャンドラーは『Illumincance』に収録された論考で、本書が全体を通して一人称で語られている印象を残したとても個人的な作品集であり、それぞれの写真が作家本人の生活や経験と直接結びついているという川内本人の言葉を認めながらも、本書の断片と断片を重ね合わせる編集方法が生み出す鑑賞における意識の流れの中では、写真はそのような記録という役割も状態も持たないことを示唆すると述べている。あらゆる写真は一部の例外を除き必然的に撮影者と深く結びついている。その前提を有しながらも、正方形のフォーマットで一層強調される断片性と本書の構造、そして文脈が変わると意味が一変する写真の性質は、本書に極めて個人的でありながらも時に素材写真のように匿名的な印象を同時にもたらしている。
[*4] 「自分の記憶が混乱する、例えば、寝起きの時に夢と現実を混同したり、自分の過去から何でもない出来事をふと思い出したり。それがとてもリアルで、ものすごく気持ち悪くなる時があります。日々見ている景色は覚えていなくても、実はそれらは全部脳の中に入っていて、それを内包しながら自分たちは生きている。そんな強迫観念のようなものがいつも自分にはあって、とても怖くもあり、またインスピレーションを受ける源ともなっている。そういう意味を込めて、最初に出した写真集には『うたたね』というタイトルをつけたんですが、『Illuminance』もそのコンセプトは変わりません」- 平成24年度 東京都写真美術館自主企画展 「川内倫子展 照度 あめつち 影を見る KAWAUCHI Rinko Illuminance, Ametsuchi, Seeing Shadow」https://topmuseum.jp/contents/exhibition/topic-1593.html (accessed on 24th March 2022)
[*5] 川内の写真は、何気ない日常をありのまま映し出す写真というよりも、写真家の鋭い視点とカメラの魔術によって被写体を変容させ、日常風景や世界に対する新たな視点や感覚を湧き上がらせると評されることが多い。しかし川内はそれを、現実をファンタジーとして見せる目的ではなく、あくまで自分が見た景色や見えている世界をリアルに表現することに重きを置いていると述べている。詳しくは「PHOTOGRAPHICA 2009 Winter vol.17」を参照。
Title: Illuminance
Artist: Rinko Kawauchi
torch press/Aperture, 2021
Hardcover with obi-band, French fold / Swiss binding
287 x 219 mm
384 pages
Text in Japanese
The tenth anniversary edition
¥6,500 + tax
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