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誰のものでもない、「私の」15年──江崎愛 写真集『Archive of affection, obsession』

 

もう10年以上前のこと。ギャラリーのDMコーナーに置かれた、派手なジャケットを着た半目の女性の写真が目にとまり、情報欄も確認しないままカバンに入れて持ち帰った。


まだ北陸新幹線も開通していない時代である。金沢で生まれ育った若者にとって、高層ビルやマンションが立ち並び、雑誌やテレビの舞台となる東京は、まだ別世界のような場所だった。


そのスナップ写真のDMは、自分にとって縁もゆかりもない土地のリアルで、しかし現実味のない日常風景として、不思議な魅力を放っていた。

 

当時のDMに使用されていた写真。


その後渡英し、写真を志すようになったぼくは、帰国後に日本人の写真家たちと少しずつ交友を結ぶようになる。そしてあの時のDMの写真家だとも気づかぬまま、いつの間にか江崎さんとも知り合っていた。


彼女は東京のストリート・カルチャーシーンと密接に関わりながら、Zineをはじめとするアーティストブックの制作と展示を続けている。そのスタンスは当時も今も変わっていないように思う。しかし近年は活動範囲と表現の幅を広げることで、作家としてのあり方を模索しているようにも見えた。


最新作となる『Archive of affection, obsession』は、彼女がキャリアをスタートした2010年から2025年までの作品をまとめた集大成である。

『Archive of affection, obsession』(自費出版、2025)


本書のブックデザインは、東京を拠点に活動するデザインスタジオ/ブランド「Well」、そして出版社「SAMY PRESS」のメンバーでもあるグラフィックデザイナー・村尾裕太が担当している。村尾は次世代を担うブックデザイナーとしても近年頭角を現し、IACKの読者層の間でもファンを着々と増やしている。


表紙のボール紙には、サイズの異なるダストジャケットが二枚巻かれ(一枚は本体に貼り付けられている)、赤色の箔押しがきらめく。村尾らしいひねりの効いた、しかしクリーンで端正なデザインだ。




中には、江崎が撮影してきた友人や知人のポートレート、そしてスナップがさまざまなレイアウトで収録されている。


登場人物は皆若く、彼らは自宅や路上、公園など、さまざまなロケーションに姿を見せる。江崎自身のセルフポートレートや、エディトリアル仕事のために撮影されたであろう演出写真、さらに人物の写っていない風景や食べ物のスナップも織り交ぜられている。


要所要所には、赤い文字で印刷されたテキストが挿入されており、ある女性との出会いから撮影にいたるまでのエピソードと、本書の制作中の想いが綴られる。それらの文章からは、江崎という人間のユニークさとこだわり、他者に対する好奇心、そして素直さゆえの葛藤が垣間見える。




後半の文章にあるように、本書の制作はデザイン要素やレイアウトを含め、9割を村尾に委ねることで完成した。


作家が写真をセレクトしないことで、作品性が薄れるのではないか──そう考える人も少なくないだろう。確かに「作家はダミーブックの時点でほぼ完成系を作るべきだ」という、2010年代以降に浸透した写真集の考え方からは、大きく外れている。


しかし歴史を振り返れば、写真集の金字塔とされる名作には、編集者やデザイナーに一任することで生まれたものもある。どちらが正しいかを断じるのは難しいが、むしろその「正解のなさ」こそが、本を通した作品づくりの奥深さとも言える。


江崎は他者とともに写真集を作る行為を通じて、自身の輪郭を客観的に捉えようと試みたという。近年活動の幅を広げてきた彼女の新たな挑戦とも言えるが、それはインディペンデントな活動形態と揺るがぬ撮影スタイルがゆえに生じるジレンマと解釈することもできる。


インディペンデントな活動には自由さがある一方で、時にマンネリ化やオーディエンスの固定化、視野の狭窄といった危うさが待ち受ける。長年変わらぬスタイルで活動してきた江崎にとって、作家としてのスタンスを崩さずに発展させるためにも、他者の視点を取り入れるのは現実的な打開策のひとつだったのではないか。



この本について、私的な感情を完全に排して語るのは難しい。なぜならぼく自身、この時代を20代から30代にかけて過ごした当事者であり、本書に登場する人々の大半とも一度は顔を合わせたことがあるからだ。


陳腐な言い方かもしれないが、この本を表す言葉として「青春」ほどふさわしいものはない。東京を舞台に、あるコミュニティで繰り広げられた十数年の軌跡。本書を貫く赤いテキストは、写真が過去の写しではなく、今もそこにあるかのように血を通わせている。150部という少ない制作部数も、本書が頭に顔が浮かぶ人々へと送る個人的な作品であるかのような印象を与える。


2010年代の東京とその日々は、すでに過去となった。村尾の視点を通じてその事実を噛みしめ、そっと別れを告げるような、切なくも清々しい余韻をこの本は持っている。そして、その事実を客観的に受け止めることを選んだ江崎は、前に進むことを決心しているようにも見える。


だが本書を通して何より伝わってくるのは、そうしたセンチメンタリズムを押しのける力強さ──圧倒的な作者=「私」の存在である。その強烈な私性と正面から向き合っていると、私写真という言葉に、これまであまり取り上げられてこなかった、表現を行うことの根幹に関わる重大な意味が埋もれているような気がしてきた。


個人的な写真(Personal Photography)でもなく、親密な写真(Intimate Photography)でもなく、私小説的な写真(Shi-shashin)でもない、「私の」写真(My Photographs)。


本稿はここで区切りとしたい。ここで示した視点については、後日あらためて続編で掘り下げるつもりだ。

Article by Yukihito Kono (5 September, 2025)

 



Title: Archive of affection, obsession
Artist: Ai Ezaki
Design: Yuta Murao
Publisher: Self-published, April 2025
Format: Softcover with dust jacket, PUR binding
Size: 180 × 251 mm
Pages: 160
Language: Japanese / English
Edition: Limited edition of 150 copies
Price: ¥5,500

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