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イギリス出身の写真家、ナイジェル・シャフランは、1980年代後半にヨーガン・テラーやコリーヌ・デイ、デイヴィット・シムズらとともにロンドンの『i-D』、『THE FACE』、『Dazed & Confused』誌などで活躍した写真家の一人である。現在ではファッションフォトグラファーというよりは、ギャラリーや美術館で展示を行う写真家として認知されている。1995年に自費出版したパートナーのルースとの生活を記録した写真集『Ruthbook』は、彼のキャリアのターニングポイントとなっただけでなく、写真家と被写体の関係性を捉えた名作として写真集の歴史にもその名を深く刻んだ。そして2016年、MACKから自身8冊目となる写真集『Dark Rooms』が出版された。本書は『Ruthbook』や、同じくパートナーを題材に制作された『Ruth on the phone』のようにひとつのシリーズから構成された一冊ではなく、シャフランが2005年から取り組んでいた未出版の5つのシリーズを中心に構成されている。スーパーのレジのコンベア上を流れる商品を撮影した「Supermarket checkouts」、エスカレーターを降りる人々を横からの目線でとらえた「Paddington escalators」、どこか物悲しさを感じさせる介護用品ショップのシリーズの「Mobility shops」、母親が自宅で制作していた作品を撮影した「Mother’s work」、そして自宅の台所に積み上げられた空の容器を写したシリーズ「Packages」。これらの一見脈絡のないシリーズの要所要所に自宅の風景を差し込みながら、本書は淡々と展開される。本作が過去のものとは異なり、極めて光の少ない場所で撮影された写真を多く採用している点に気がつくであろう。本書の制作中にシャフランは両親を立て続けに亡くしており、その出来事が『Dark Rooms』に大きな影を落としているということは本人も認める通りである。一体その出来事とこれらの5つのシリーズ作品はどのような関係性にあるというのだろうか。 本書は、2004年に出版されたモノグラフ『Edited Photographs 1992-2004』の続編とみなすことも可能かもしれない。パートナーとの生活や息子の誕生を受けて編まれた『Edited Photographs1992-2004』と、家族の喪失を受けて編まれた『Dark Rooms』。しかし、一見似た体裁をとった2冊の相違はその内容のみにとどまらない。 「シークエンス(順序)」という言葉は、シャフランが自身の作品について語る際に最も頻繁に口にする言葉のひとつである。写真をもとの文脈から抜き取り順序付けることで効果的にみせること、そしてそれを一冊の本で行うこと。それこそが『Ruthbook』での彼の発見であった。本書では、直接的に類似性を指摘するような配置や端的な構成は取っておらず、むしろ各シリーズを独立したものとしても鑑賞できるよう、各シリーズのシークエンスはほとんど崩されていない。ここでは写真単位のシークエンス付けとシリーズ単位のシークエンス付けが同時に行われており、シリーズとしての独立性は保ちつつも、『Dark Rooms』というひとつの新たな作品へと昇華させるという異質かつ大胆ともいえる試みがなされている。各シリーズの独立性と優位性を保ちつつ編集するモノグラフ的構造と、そこに別の視点を与えることで新たな作品へと昇華する構造。この入れ子構造は、『Dark Rooms』という作品にある種の語りづらさをもたらす。本書がどのような一冊かを説明する際に「5つの未出版のシリーズを収録した一冊」と言った途端モノグラフの構造にとらわれるし、一度モノグラフという言葉にとらわれたが最後、これがひとつの新しい作品であるとは捉えづらくなってしまう。この構造はこの本から徹底的に一貫した物語性、あるいはドラマ性の排除を行っているのだ。このドラマ性の拒絶はナイジェル・シャフランという写真家が日常に潜む非日常性、我々が享受している日常風景のある種の不気味さ、不格好さを個人的な視点から捉える写真家であり、「日常性」や肩肘を張らない「さりげなさ」が作品において重要な要素であるという点からも当然の帰結として考えられよう。ここではむしろ喪失を世の定め、生の一部として受け止めた上で前に進もうとする写真家の姿が浮かび上がってくる。いまならば断片的に思えた5つのシリーズにも関連性が見えてこよう。運ばれるということ、進んでいく時間、老いゆく定め、かつてあった存在、役割を失ったモノたち。そこでは淡々と、時と絡み合ったこの世の様が描写されている。 本書の冒頭には小さく、 “For my family, past, and present(家族、過去、そして現在に捧ぐ)” と記されており、そこに未来を表す “future”という言葉は見当たらない。写真家の取り組みとは現在から静止した時間(過去)へと接続することであり、その姿は、シャフランが本作を制作するにあたってのもうひとつの影響源として名を挙げる1946年公開のイギリス映画『A Matter of Life and Death(天国への階段)』で、天国の使者が自在に時を止めて現世へと関与するさまと酷似している。しかしここで決定的に異なるのは、天界の使者が静止した時間に関与することができるのに対し、我々にはそうすることは許されていないという事実だ。我々に可能なのは、写真という欠片を介して過去へと接続しながら、その中にでもなく未来にでもなく、現在の中にこそ光を見いだすということである。本書は部屋で眠る息子のレヴの写真と、日常の象徴である自転車の写真で幕を閉じる。シャフランが暗い部屋の中で何を見たのかは、明白であろう。それこそが『Dark Rooms』という作品を包み込む静かな力強さなのであり、彼にとっての写真のあり方なのだ。突飛な手段を取るわけでもイメージと戯れるわけでもなく、伝統的な構造を用いつつ同時にさらなる昇華を模索した本書は、現代における写真集というメディアの新たな在り方を提示しているのかもしれない。(This article was originally published on 22nd February 2017) -Title: Dark RoomsArtist: Nigel ShafranMACK, 2016Hardcover,...
正しさの凡庸を超えて
──ダニエル・シェア『Distribution』
Daniel Shea, "Distribution", book cover 2014年に出版された写真集『BLISNER, IL』以降、ダニエル・シェアの作品には継続的に触れてきた。 本作はモノグラフとしては6年ぶりとなる新作にあたり、今回初めてイギリスの出版社「MACK」とコラボレーションを行っている。2010年代に都市をテーマにした写真表現に新たな地平をもたらした写真家と、同じく2010年代に現代写真集の普及と盛り上がりに大きく貢献してきた出版社との協働である。ある意味、時代を総括するような共演にも感じられる。 期待を胸に本書を読み終えて、まず浮かんだのは素直な賞賛の気持ちだった。完璧主義の構成力は健在であり、この分量の本を破綻なくまとめ上げる手腕は見事である。だが同時に、あまりにも巧妙で正しすぎる、優等生すぎる作品だという感覚も覚えた。 どういうことか。本書はまるで教科書のように、本という形態で写真を見せるために培われてきた文法と技術にとことん忠実である。シークエンスとレイアウトはもちろん、写真そのものの物質性や歴史への言及まで、余すことなく行われている。模範解答のように、あまりにもスムーズで完璧すぎるのである。 Spread from "Distribution" 手法のみならず、テーマや被写体に関しても、これまでのシェアの作品から劇的に変化しているわけではない。自然への関心の比重が増したとはいえ、2018年に出版され、高い評価を得た写真集『43–35 10TH STREET』と大部分を共有している。さらに遡れば、『BLISNER, IL』と同じモチーフが続いているとも言える。一貫性があるのは素晴らしいことだが、立派な装丁も相まって、完璧すぎるが故の物足りなさを抑えきれないまま、最初の軽い鑑賞を終えた。 だが、そのスムーズさが、どこか頭の中で引っかかるのである。 以前にも、同様の感覚を覚えたことがある。同じくMACKから2014年に出版されたナイジェル・シャフランの写真集『Dark Rooms』だ。この本も最初は特別な感情を抱かなかったが、どこか違和感のようなものが残り、何度か見返していく中で、既存のフォーマットを踏襲しながらもアップデートを試みる、内部に革新的な構造を抱えた一冊であることに、後から気づかされたのだ。 緻密に計算された作品は、読者の無意識に働きかける。この本も、同じような一冊なのかもしれない。漠然とそんな予感を抱いた。 そこでもう一度、今度はより冷静に、分析を行うように、一ページごとにゆっくりと見ていくことにした。 「森を撮る」とはどういうことか 本作の制作は、コロナ禍中にシェアが森の写真撮影を試みたことをきっかけにスタートした。しかしいざ森を前にして彼は、人間の思考が及ばないようなその存在を、うまく撮影することができなかったという。そして、「森を撮るとはどういうことか?」という漠然とした疑問を抱くようになる。 物事の紙片を切り取り、それらを紡いでいく写真という表現は、常に断片的であり、一度に全体を語ることは困難である。 そこでシェアは、「木を見て森を見ず」という古い諺を逆転させるようなアプローチ、すなわち不完全さを徹底することで、逆説的に全体像を立ち上がらせる方法を実験的に試み始めた。望遠レンズを用いて撮影するだけでなく、車窓からのみ撮影するという制約を自らに課すなど、特定の条件下で生まれてくるものに可能性を見出しながら、自然と都市の姿を見つめ直していった。 最もアメリカ人らしい女性、ジェシカ “Jessica” series, opening section of "Distribution" 本書はまず、アメリカ人の統計的中央値──所得、年齢、職種の観点から最も平均的なアメリカ人像──を体現する女性、ジェシカのポートレートで幕を開ける。そこでは起床から出社、余暇を過ごす女性の日常が、スナップショットの手法で写しだされている。 だが、これらの写真は、その手法がもたらす親密さゆえに、どこか不気味さも伴っている。一体誰が、いつ、何の目的で撮影したのか。親密さの所在はどこにあるのか。極めて巧妙な生成画像のような印象すら与える。 そしてこの不可解さを引きずったまま序章を終えると、タイトルコールを経て、これから始まる未知の探究へと読者を誘う入り口のような、暗いモノクロ写真が現れ、いよいよ本編が始まる。 写真集の文法と完成度の臨界点 本書は大きく分けて、ジェシカのパートによる序章、導入となる第一章、グリッド構造の第二章、都市の居住者と細部に分け入る第三章、そして作家キャサリン・レイシーによる小説から構成されている。 第一章では、再撮影されたシェアの額装作品、レンガの壁を背景にした写真、都市や森林の風景、工事現場作業員のクローズアップなどが、入れ子構造で目まぐるしく展開していく。ここでは、本書でこれから探究する要素が提示されると同時に、写真がイメージ、画像、印刷物、さらにはインクなど、さまざまな要素へと分解・変容していくさまが示される。 本書をめくりながらその例を見ていこう。最初のページに額装作品の複写がレイアウトされた後、ページをめくると左手にはレンガと植物を写した額装作品の複写、右手には木の写真が配置される。さらにページをめくると左側には空白、右側には森で撮影されたであろう木の写真が置かれ、その次のページの左手では横位置の草原の写真が縦に配置され、右手には前ページのカット違いと思われる木の写真が現れる。続いて、人工物であるビルの写真と森の写真、植栽を施した建物の写真などが現れる。このようにモチーフは変われど、本書には一貫してリズムと連続性が存在している。 Framed vegetation and a photograph of a tree こうした構成手法と視覚的・記号的要素を組み合わせた技術こそが、写真集における「シークエンス」である。ウォーカー・エヴァンスやロバート・フランクなど、写真家たちは、本というフォーマット上で写真を視覚言語的に見せるための技法としてシークエンスを探究してきた。その基本を徹底した編集によって、2010年以降に数々の名作を生み出してきた出版社こそがMACKであり、この時点で両者のコラボレーションの相性の良さが見て取れる。 シェアはこの技法を踏まえたうえで、文法をより複雑化する。写真は必ずしも横並びで似たモチーフが呼応しているだけでも、ページを跨いで対を成しているだけでもない。本書では写真が、画像、イメージ、オリジナル、複製といった異なる次元で呼応し合い、シークエンスを生み出しながら全体を通して展開していく。そして鑑賞者は、写真とは何か、イメージとは何か、そして今見ているものは何かという、視覚言語の迷宮へと引きずり込まれる。...
もうあと数時間もすると、2025年も終わります。 皆さんにとってはどのような一年でしたか? 店主は個人としてもIACKとしても、「外に出向く」ことを目標に動いていたため、IACK店頭での展示企画本数は例年より若干少なくなりました。しかしその分、より多くの方に直接本を届けられたのではないかと思います。 作品集に関しては、取り扱いの有無に関わらず、今年も多くの写真集を手に取りました。ブックフェアにも例年以上に出向いたので、累計で何冊に目を通し、手に取ったのかはまったく分かりません。 では今年も簡単にではありますが、IACKに入荷した本の中で特に印象に残った写真集を振り返りながらご紹介します。 DistributionDaniel SheaPublished by MACK ダニエル・シェアと MACK。2010年代の写真シーンを代表する写真家と出版社による本書は、時代の節目を感じさせる見事な一冊でした。 本作は、「森を撮るとはどういうことか」という問いを起点に制作された作品であり、断片的な写真、あるいは全体を写したとしても、物事の一部しか語り得ないという写真メディアの性質を受け入れた上で、現代アメリカの都市像に迫ります。 統計的に「最もアメリカ的」とされる女性のポートレートで幕を開け、断片的な都市のイメージ、静物、グリッド状のレイアウト、コラージュなど、写真集表現におけるあらゆる技法が駆使されています。写真の強度だけを見れば、もっと薄い造本でも成立するでしょう。しかし、執拗な反復やシークエンスによって、鑑賞に時間をかけること自体が重要になっており、そのためにこの仕様に落ち着いたのだと感じます。 現代における写真、イメージ、印刷物、生成画像、そしてリアリティーとは何か。最後に収録された小説も本作に一層の深みを与えています。年内にレビューを書く予定でしたが間に合わず……1月には改めて記事をまとめるつもりです。まだお持ちでない方には、今年、そして一時代の総括として、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。 通販ページはこちらhttps://www.iack.online/products/distribution-by-daniel-shea?_pos=50&_sid=69e3c36a3&_ss=r Vertical ShiftMarte AasPublished by Multipress 今月、店頭ではノルウェー人写真家リーナ・バーマ・ロッケンと、写真家/映像作家のマルタ・オースによる展覧会を開催しました。ふたりは作家活動と並行して Multipress というアーティストラン出版社を運営しており、本作も自らのレーベルから出版されています。実は Multipress は、IACK を立ち上げた8年前に最初にコンタクトした出版社でもあります。そのきっかけは、当時店主が参加していたアーティストブックのグループ展で、同じく展示されていたオースさんのアーティストブックでした。 振り返ってみると、これまでオースさんの作品は、映像作品のキャプチャであったり、映像とセットであったりと、写真が全面的に主役になることは少なかった印象があります。本作は明確に「写真作品」として制作されており、彼女の高い写真技術と個性が際立っています。アーカイブ写真を素材として扱うバティア・スーターの作品を想起させるように、場所性や時代性を示す要素を排除した写真は、アーカイブのようでありながら強い作家性を感じさせます。 写真の上下左右をあえてばらばらの向きで収録するレイアウトは、一枚の写真に対する固定的な読解を拒んでおり、視覚的な驚きとともに、写真を読む面白さの原点にも立ち返らされます。ブルーのゴムバンドで綴じた装丁も良い佇まいです。 通販ページはこちらhttps://www.iack.online/products/vertical-shift-by-marte-aas?_pos=34&_sid=69e3c36a3&_ss=r ODaniel Reuter and Umihara ChikaraPublished by Roma Publications / Arts Council Luxembourg 今年開催された大阪・関西万博。ルクセンブルク館では、プログラムの一環として、ルクセンブルク出身の写真家ダニエル・ロイターと、日本人写真家・海原力による展覧会が行われました。本書は、その展覧会に合わせて、オランダの Roma Publications から刊行された写真集です。 一枚一枚の写真に派手さはありませんが、それこそがふたりが見た均質的な湾岸地域の風景であり、その均質さを表現するために、撮影における取捨選択が徹底されています。何より本書を特徴づけているのが、同じ写真をモノクロとカラーで反復させるブックデザインでしょう。本という形式だからこそ成立する写真表現であり、さすが Roma Publications と言わずにはいられない手腕です。ランドスケープ写真集の可能性を切り拓く、見事な一冊だと思いました。...
Artist Interview: Nigel Shafran (Photographer)
─ まずは今回出版された新刊、『The Well』についてお話をお聞かせください。ファッション写真の分野で活動を始めておよそ30年がたちますが、本作はナイジェルさんの10冊目の作品集にして、初めてその長期間にわたる仕事を振り返る作品集です。本書を出版することになった経緯と、なぜこのタイミングでコマーシャルワークをまとめた本を出版することになったのかを教えてください。 私がコマーシャルの分野で撮影を始めたのは30年か、おそらく35年ほど前でしょうか。『The Well』のアイディアは、この本のデザイナーのリンダ・ファン・ドゥールセンの提案から生まれました。彼女はブックデザイナーという肩書以上の存在で、本書の制作においても本当にうまく私を駆り立てました。というのも、私はこれまで仕事として撮影した写真とパーソナルワークはある意味別物として捉えていたので、最初に話を聞いた時は「私の目が黒いうちはそんなことは絶対にやらせない!」と思いました(笑)。でもこの本を制作した今は、すべてがつながっていると考えることができるようになりました。本書に収録されているのは、いわゆるファッション写真ばかりではないと思うのです。後期の作品に関しては近年の商業的なファッション写真ですが、初期の作品のほとんどは、私がかつてアシスタントとして働いていたようなファッション写真や、もっと若い頃にやっていたことに対する反発として制作されたものです。街行く人たちのスナップ写真であったり、ファッション写真やさまざまなスタイルに接続し得る作品であっても、必ずしもファッションモデルやそういう人たちを撮影しているわけではないのです。なので、それらのふたつの写真は何らかの形で繋がっているのです。 ─ まさに今おっしゃられたように、本書は単にコマーシャル分野での業績をまとめた作品集ではなく、あなたのファッション写真と作家としての写真を接続する意図がさまざまな点からも見て取れます。例えば、この本を出版したのはレトロスペクティブなカタログを制作する大手出版社ではなく、より作品性の高いアートブックを制作するロンドンの独立系出版社「Loose Joints」であり、(出版前の)現時点で本書のメインヴィジュアルとして使用されている写真が、あなたの最もよく知られた写真のひとつである、キッチンで椅子に腰掛けた奥さんのルースさんの写真と同じ構図で撮影されたものであることからも、その意図がうかがえます。その繋がりに意識的になったのがごく最近のことだというのは面白いですね。 おそらく、一方は他方に対する反動なのでしょう。あるいはそれらは互いに補完しあっているのかもしれません。私たちは大富豪として生まれない限り、生活費を稼がないといけません。そしてそれはいつも大きな問題として私たちの身にのしかかります。一部の写真家たちは写真を仕事として教えたり、あるいは運が良ければプリントを売ることで生き抜いていくことができます。一方で他の写真家たちは、全く別の仕事で生計を立てながら作品制作をしています。昔に比べて、今は商業的な分野で働くことがより受け入れられるようになっていると思います。しかし私はそこに深く携わっているがゆえに、過剰消費の一部として女性がどのように描かれるか、ということをはじめとした産業的な問題…問題とまでは言わずとも、課題を常に抱えています。 ─ だからあなたのファッション写真は過剰に演出されていないのでしょうか。つまり、パーソナルワークとは分けてファッション写真らしく演出することもできると思いますが、それはあまり表面的には現れておらず、パーソナルワークと同じような質感で統一されています。 最近の写真の中には、よりプランに沿って撮影されたものもありますが、いずれにせよあまり演出されたように見えないといいですね。近年行っているファッション写真の撮影では、頭の中にあるたくさんのアイディアやドローイングをもとに、それらを再現することもあります。そして最近では、もし幸運にも自分が写真家として多くのオーディエンスを持つのなら、異なる題材に関する自分の考えを作品に盛り込むことができるかもしれない、とも考えるようにもなりました。政治とまでは言いませんが、ごくごく小さなことであれば、政治的なこともあるでしょう。また、ファッションモデルや被写体たちのことは物としてではなく、また過度に性的でもないように撮影するように心がけています。 Above: spread from "Ruthbook" (Self published, 1995) / Below: spread from "The Well" (Loose Joints, 2022) ─ 理解できました。あなたは1995年に自費出版した作品集『Ruthbook』をきっかけに、より本格的に作家活動に専念し始めます。しかしそれ以前のプロジェクトにも、あなたの身近な環境や周囲に対するそのような個人的な視線は既に現れていたように思います。もっと早くに他のプロジェクトを写真集としてまとめることもできたと思いますが、なぜこの極めて個人的な作品を最初の本として出版しようと考えたのでしょうか。 おそらく、あの作品が当時の私の作品の中でもっとも感情的だったからであり、そして人生は一度きりだと思ったからです。ある種セラピーのような意味もあるのかもしれません。私は人生で最も重要な写真は、家族のスナップショットだと思っています。ある意味、私は自分のことをとても優秀なプロの家族写真家であると感じています。そうあることはとても幸せなことです。あるいは大判カメラを持ったスナップショット写真家 ─ これはいいフレーズですね、気に入りました(笑)。前にも言ったことがあると思いますが、私にとって重要なことは自分の目の前にあるものごとで、そしてそれを可能な限りはっきりと目を凝らして見ることです。それはいつでも容易なわけではありません。 ─ そのような個人的な写真を作品として発表すること、また個人的であること自体に当時何か批評的な意味があったと思いますか? それは分かりません。それが私のやっていることですから。私はよく学生たちに「とにかくやってみろ」と言います。その時々に撮影をして、それを編集したり、その写真を使ったり、出版したりしなかったり。何もしなければ何も生まれません。とてもシンプルな話だと思います。物事について時間をかけて考えることもあれば、働く時もあるし、日々の仕事をするときもある。いろいろな作品を見ることもあれば、昔の巨匠の絵画を見る時もあるし、レシートと向かい合って計算をすることもある。だから、どう答えたらいいのかわかりません。その時代には有効だったのかもしれないし、そうではなかったのかもしれない。私は自分の作品についてあれこれと語りすぎることで、イメージを凝り固めたくないのです。私はむしろ、なんというか…作品について語ることが仕事の人は他にもいます。キュレーターたちは今何が面白いかを見極めることができる人たちであり、過去から現在までを見渡した上で何が興味深いかを選択します。ですが、私は自分の作品が人々に影響を与えるまま、自由にさせておくという考え方が好きなんだと思います。近年世界に溢れかえっている多くの写真とともに、そのように存在する自分の作品が好きなんです。 ─『Ruthbook』以降、あなたは本を重要な作品形態として今日まで制作を続けてきました。展示などの発表形態もある中で、本というフォーマットの何があなたをそこまで惹きつけるのでしょうか。 写真集は、写真の見せ方という点において最も効果的な方法だと思います。シークエンスや編集を通して作品の見え方をコントロールできますからね。ノートパソコンみたいに電気を必要としないし、手頃な価格で見てもらえます。それに、いつ見るかも自由です。だからわざわざ展覧会を開く必要もありません。展覧会は一度終わってしまえばもう見ることはできません。それに展覧会を開催するには膨大なエネルギーが必要で、そして終わればそれもなくなってしまう。その違いは、本で写真をみた時と画面上で写真をみた時にも現れますよね。コンピューターの画面も当然作品を見る場所ではあると思いますが、私にとっては写真を見る一番好みの場所というわけではありません。写真集は実際に手に持ったり、所有したり、気に入ったり気に入らなかったりする、三次元の物体です。それはまた、よりゆっくりとした時間の流れを持っている気もするのです。スクリーンよりは本のほうがより集中力も保てる気がしますし、実際私はこれまで画面上で写真を長時間見た経験がないように思います。なぜかは分かりませんし正確には少し違うかもしれませんが、おそらく私たちが皆、機械をとても素早く使うことに慣れてしまっているからではないかと思います。それに、私はいささかコントロール狂の節があります。写真集であれば素材から印刷、シークエンスの全てをコントロールできますし、それらは作品制作において全て等しくとても重要なことなのです。 ─ それはあなたが自費出版を好む理由でもあるのでしょうか。 そうですね。だけど自分でやるといつも何かしら失敗してしまいます(笑)。とはいえ、私がこれまでに自費出版したのは…。 ─(画面でシャフラン氏の自費出版作品集を見せる) その本はどこで手に入れましたか? ─『Ruthbook』ですか?確か以前ebayで購入しました。 その本はもともと7.50ポンドだったんですよ。自転車に乗って本屋に営業して回ったのを覚えています。全財産を良い紙に費やしました。そしてカバーには…あ!タイトルの文字を見てください。 ─ 表紙のタイトルは一冊一冊あなた自身の手で書かれています。 はい、一本の鉛筆で全部にタイトルを書き入れました。多分まだその4B鉛筆がこの暗室のどこかにあると思います。タイトルは何らかの理由で一単語の『Ruthbook』です。なんで一語にしたのかはわかりません。今でもそれと全く同じように書けますよ。一文字一文字こだわった書き方をしていたのを覚えています。「Book」は大きなゼロと小さなゼロの組み合わせですが…なぜでしょうね。当時目にしていた他の作品に対する反動のようなものもあるのかもしれません。私はいつも半分くらい自分が何をやっているのか自分でわかっていません。90%は何をやっているのかわからない。 ─ そして後になってからわかるのですね。...
IACK BEST SELLERS 2022 | TOP 1 - 15
特集前編:TOP 16 - 30はこちら ... 15位|Nigel Shafran: Compost Pictures 2008 – 2009 (Photoworks, 2010) 2010年にイギリスのイースト・サセックスに位置するアートセンター「Charleston」で開催された個展に合わせて出版されたナイジェル・シャフランの作品集。ジンのような簡素な作りながらも構成に工夫が凝らされており、作品集での作品発表を何より重んじる作家らしさを堪能できる一冊でした。 ... 14位|Ruches, 2400 A.E.C. - 1852 E.C. / Hives, 2400 B.C.E. - 1852 C.E. by Aladin Borioli a.k.a. APIAN (RVB Books/Images Vevey, 2020) 養蜂における巣箱の形状に着目した人気作の第二版。内容が面白いのはもちろん、細部までユニークなブックデザインも必見です。https://www.iack.online/products/ruches-2400-a-e-c-1852-e-c-hives-2400-b-c-e-1852-c-e-by-aladin-borioli-apian?_pos=11&_sid=9bf431f16&_ss=r ... 13位|Hotel Mermaid Club by Chris Rhodes (RVB BOOKS, 2019) ファッションの分野で活躍するイギリス人写真家、クリス・ローズによる作品集。決して挑戦的でコンテンポラリーな作風ではありませんが、だからこそ時代に流されずに残り続ける作品の力強さを感じさせます。綺麗なミントグリーンのクロスを施したカバーデザインも所有欲をそそられますね。https://www.iack.online/products/hotel-mermaid-club-by-chris-rhodes?_pos=1&_sid=7344ed74e&_ss=r...
Image from the series "Distribution" ©︎Daniel Shea この対談は、アメリカ人アーティスト、ダニエル・シェアの最新刊『Distribution』の出版関連イベントとして開催された。聞き手を務めたのは、IACKを主宰し、自身もアーティストとして活動する河野幸人。同書を手がかりに、森、都市、写真集、グリッド、記憶、フィクション、そして現代写真の可能性をめぐる対話が行われた。 森を撮ることから始まった作品 河野幸人(以下YK):本日は、去年8月に出版されたダニエル・シェアさんの最新刊『Distribution』を中心にお話を伺いたいと思います。ダニエルさんはこれまでも、都市や環境をテーマに重要な作品を発表してきました。本作はこれまで同様に都市や自然も登場しますが、「森」が出発点となり制作が始まったと聞いています。 ダニエル・シェア(以下DS):本作はとてもシンプルな発想から始まりました。それは、森を撮影することです。 私はそれまで何年ものあいだ、建築を主題に作品を制作してきました。建築がこの世界において何を意味しているのか、そしてそれが私たちの世界に対する価値観をどのように映し返しているのかを探究してきたのです。 しかし正直なところ、都市の写真に取り組むことに少しうんざりしていて、環境を変える必要性を感じていました。そこで森を撮影しようと試みたのですが、すぐに一つの問題に直面しました。というのも、森の中にいる「経験」そのものを表現することが、とても難しかったのです。 それがこの本の出発点になりました。森の中にいる経験は、自分が環境全体に包み込まれているような感覚としてあります。身を置いている環境そのものが経験を形づくる一方で、多くの場合、写真には物事を断片化する傾向があります。その二つをどのように折り合わせるのか。それが最初の課題でした。 Spread from the book "Distribution" ©︎Daniel Shea YK:作品を作り始めた時期は、ちょうど新型コロナウイルスのパンデミックとも重なるのでしょうか。 DS:それは正直なところ偶然でした。私は新型コロナウイルスの流行が始まる少し前に森を撮り始めていたので、不思議なタイミングでした。 パンデミックによって見えてきたことの一つは、環境問題について多く語られるようになったことです。ただし私の関心は、自然界に一時的な停止の瞬間が生まれたこと自体にあったわけではありません。 世界中のニュースでも報じられていたと思いますが、生態系が回復していくように見えたり、都市の中で動物が目撃されたりすることがありました。それによって、環境問題に改めて焦点が当てられたのだと思います。 そのことが、森の写真にもう一つのレイヤーを加えました。最初は非常にシンプルな問題でした。写真が何かを作り出そうとしている、あるいは、写真が何かを望んでいる、ということではありません。写真はただ、写真であるにすぎません。ただ、その断片的な性質こそが、私が最初に関心を持った問題でした。 しかし、そこにパンデミックが起こり、環境問題への関心が改めて高まったことで、私自身もそのことについて多く考えるようになりました。そしてそれが、断片と全体という、もう一つの問題へと重なっていったのです。 気候変動がゆっくりと進行し、私たちが日々の変化を知覚できないために行動することが難しくなるのだとすれば、その構造は、写真における「見ること」の問題とも重なっています。 YK:この作品を着想した時点で、すでに写真集にすることは考えていたのですか。 DS:制作を始めるとき、私はいつもそれを写真集にするのか、あるいはそうではないのかを考えています。というより、常に次の本のことが頭の中にあるのだと思います。私にとって本は、自分の実践の中心的な部分です。展示よりも本に最も執着していて、何より関心を持っています。 一方で、私はある種の二重生活も送っています。写真家として仕事もしていますし、その仕事は本のための作品とは見た目もかなり異なることが多いです。 ただ、私にとって本は二つの意味を持っています。一つは、長期的に制作していくうえでの秩序を与えてくれること。もう一つは、単純に本というメディアそのものへの関心です。ほとんど執着と言ってもよいかもしれません。 ジェシカ──具体化された抽象 YK:この本は現代における写真の、そして写真集の意義を視覚的に表現した素晴らしい写真集だと思います。読んでまず最初に、一枚一枚の写真の力強さに加えて、写真集の文法や、アカデミックな写真の慣習を非常に丁寧に踏まえていると感じました。しかし同時に、その枠に収まらない何か──ルールに則りながらも、そこから逸脱する要素を意図的に入れることで何かを試みている、結論を出すことを目的としていない本だということがわかってきました。 DS:本作は、ジェシカという女性が一日を過ごしていく様子を捉えた、一連の写真から始まります。 このパートは私にとって二つの意味合いがあります。一つは少し抽象的なもので、あなたが説明してくれた私の関心、つまり本づくりの構造とルール、そしてルールを破ることとの関係に関わっています。 外見上はとても厳格な本を、回り道から始めるというアイディアが気に入っていました。最初の写真の連なりを見た読者が、あるものを期待したあとで、形式的にも構造的にも大きく転換していくようにしたかったのです。 私にとってこの回り道であるジェシカは、抽象的な統計データが、肉体的な身体を持った人物として立ち上がる、「具体化された抽象」とでも呼ぶべき存在です。彼女は、人口統計上の中央値としてのアメリカ人を表象しています。私は、その人物がどのような人であるかを想定し、その人を撮影しました。 写真の中に写っている人物は、架空の人物です。しかしその表象、つまり中央値としてのアメリカ人女性は、統計的事実に基づいています。この具体化された抽象という考えは、再び森における部分と全体の問題へと戻っていきます。そしてそれは、写真が応答するのに適した、写真にとって中心的な問いを含んでいると思います。 YK:AIを使用すれば、誰でも容易に画像や動画を生成できる時代です。統計データを使って、リアルな架空の人物を作り上げることもできる。しかし、それをあえて写真で行う。ここに出てくる女性は、実は俳優が演じているわけですが、数字上にのみ存在する人物を演じる女性を、写真として記録している。そのねじれは、単にフィクションを作ることとは少し違う気がします。写真は断片的でありながら、同時に「その人がそこにいた」という事実性にも結びつくからです。 DS:おそらく今なら、似たようなことは別の方法でもできるかもしれません。データを入力すれば、簡単に画像や映像すら生成できるでしょう。しかし写真の場合には俳優を雇い、それを写真として記録することになる。おそらく、そこに重要な理由があるのだと思います。 私の中心的な関心は、ストレート・フォトグラフィーの中に新しい形式を見つけることだといえます。それは写真の前提や、写真が持つ仕掛けのようなものを少し操作することを意味します。 この撮影そのものがフィクションである、ということではありません。私がある人物を表象するために雇った人を撮影している、そのことを記録しているのです。写真の中で提示されていること自体に嘘はありません。そこに嘘はないのです。 これは微妙なことですが、その微妙さの中に、写真や表象について私が関心を持っていることのすべてがあります。単純に「写真は嘘をつく」、という話ではありません。むしろ、真実とは文脈によって揺れ動くものだということです。揺れ動くのは写真に写っているものではなく、その意味の方です。 もう少しシンプルにいうなら、この写真たちの言語はドキュメンタリーです。しかし、意図としてはドキュメンタリーではありません。一方で、本の後半に出てくる、人が写っている写真の多くは、本質的にはドキュメンタリー写真です。私はその場を演出していません。それぞれの環境にいる人々を撮影した写真です。 写真の物質性とフレーム Image from the series...
Sleeping by the Mississippi by Alec Soth
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アメリカ人写真家、アレック・ソス(Alec Soth)による作品集。 ソスのファーストブックにあたる本作は、2004年にドイツの出版社Steidlから出版され、瞬く間にソスの写真家としての評価を確かなものにした。歴史的名作として扱われているにもかかわらず、手に取ることが困難な状況が続いていたが、出版から13年が経った2017年、イギリスの出版社MACKの手により、新たに2点の未収録作品を加えた復刻版が制作された。 アメリカ・ミシシッピ川沿いのロードトリップを中心として、アメリカのアイコン的役割を果たすが故に寧ろ忘れられがちな「サード・コースト(第3の海岸)」。本作はその地で生きる人々や風景、建物を丁寧に描き出しており、写真からは孤独や切望、幻想といった人間のもつ物悲しささえも感じられる。 初回生産版ポスターが付属。 - Title: Sleeping by the MississippiArtist: Alec SothMACK, 2017Hardcover, 280 x 275 mm120 pagesReprint, first printing¥7,500 + tax
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アメリカ人写真家、サム・コンティス(Sam Contis)による作品集。本書はカリフォルニアに位置するとある大学を舞台に、場所そのものや大学にまつわる物語、男性的なアイデンティティを探求する。大学は少人数制の男子校であり、学術的な授業以外に畜産、農業といった分野など自然や地域に接し総括的に実践していく「ホリスティック教育」を方針とし、作者はそこで学ぶ者たちを追っている。コンティスが撮影した写真に加え、約一世紀前に在籍していた第1期生の写真を用いている。(ディストリビューター解説より一部抜粋)-Title: Deep SpringsArtist: Sam ContisMACK, 2017Hardcover, 240 x 288 mm152 pages¥6,750 + tax
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ポーランド人アーティスト、ジョアンナ・ピオトロフスカによる作品集。ジョアンナ・ピオトロフスカの奇妙な家族アルバムは、演出された家族写真であり、家族という概念の根底にある不安、つまり抑圧的であると同時に報われもする強固な絆を主張している。彼女の写真には、親密な家族の光景が映し出されている。機能不全に陥る寸前のようなイメージの中で、瀟洒にペアを組んだ身体が出会い、収束していく。あるスナップショットでは、2人の成人した兄弟が白いブリーフ一枚でペルシャ絨毯の上に横たわり、別のスナップショットでは、抱き合っている2人の女性の黒い服を着た身体が融合し、母と娘の忌まわしい重なりを暗示している。暖かさや息苦しさを意味するタイトル自体が、家族の逆説的な性質を捉えている。しかめっ面の空間は、居心地の良さと閉所恐怖症、親密さと無風状態の両方を兼ね備えている。ピオトロフスカは、家族の被写体にほとんど彫刻のような身振りでポーズをとらせ、親密さの瞬間を再現させる。ドイツの心理療法家バート・ヘリンガー(Bert Hellinger)の哲学に影響を受けたピオトロフスカは、ヘリンガーの治療法「ファミリー・コンステレーションズ」の動きやジェスチャーを統合した。彼女のモノクロのイメージは、意図的に失われた幸せの瞬間をノスタルジックに映し出し、あらゆる家族関係に蔓延する自己の緊張を鋭く観察している。「父親との関係におけるあらゆる活動が、「私」を成長させ、同時に「私」を破壊する。私はどこにでも父親を見つける。父親のいない風景はない」─フランツ・カフカ(父への手紙より)2014年度「MACK First Book Award」受賞作品。絶版。-Title: FROWSTArtist: Joanna PiotrowskaMACK, 2014Hardcover, perfect binding265 x 235 mm48 pagesText in EnglishFirst editionISBN: 978-1-910164-10-5¥7,700 -Condition: Good/経年並
In Veneto, 1984-89 by Guido Guidi
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イタリア人写真家、グイド・グイディ(Guido Guidi)による作品集。 ヴェネツィアの都市、メストレの店先のブラインドの隙間から覗く大きな瞳のイメージから始まる本書は、1984年から1989年の間にディアドルフ 8x10で撮影した未発表の写真作品を収録。作者が1つのプロジェクトを通じて大判カメラを使ったのはこの時が初めてである。本作の主題であるヴェネト州中心部のとある地域は、ある時期から急速に変化したことで知られている。無秩序な都市の拡大は、イタリアの広々とした田園地帯に深い爪痕を残した。 過去の作品を現代の手法を用いて制作することの面白さが感じられる一冊。 - Title: In Veneto, 1984-89Artist: Guido GuidiMACK, 2019Hardcover, case binding240 x 300 mm64 pagesFirst edition¥6,400 + tax