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(Summer Sale) Elementary Calculus by J. Carrier

¥7,130 ¥7,920

アメリカ人写真家、J・キャリアによる写真集。 キャリアは、ワシントンD.C.からエクアドル、さらにアフリカ、中東へと移り住む遊牧的な生活を送ってきた。移動を重ねるごとに、友人や家族からは物理的にも心理的にも遠ざかっていったという。イスラエル滞在中、キャリアは埃っぽい都市テルアビブに流れ着いた移民たちに強い親近感を覚えるようになる。異邦人として、故郷から遠く離れて生きる存在──その感覚が、彼自身の経験と重なったからだ。 『Elementary Calculus』は、ポートレート、風景、静物写真による一連のイメージを通して、移動を続ける外国人たちが故郷とのつながりを取り戻そうとする、「公的でありながら私的」な瞬間を静かに見つめている。テルアビブとエルサレムにおける移民や難民の記録を通じて、キャリアは現実と欲望のあいだ──かつてあったものへの希求と、これから訪れるかもしれない未来への希望──に横たわる距離を探り、未知と未知のあいだを私たちがいかにして行き来しているのかを辿る。 彼の写真には、異国に身を置くことで、地理的な距離がもはや明確な尺度を失い、「家」が曖昧な記憶、半ば忘れ去られた夢のように感じられてしまう──その感覚が強く響いている。イスラエルとヨルダン川西岸を捉えたキャリアの控えめでありながら印象的なイメージは、答えを提示する以上に多くの問いを投げかける。民族性と所有をめぐる相反する主張によって規定されるこの国家において、外国人の流入は何を意味するのか。そして、この複雑な状況は新たなかたちの難民たちにどのような影響を及ぼしているのか。彼らにとって、この土地には希望があるのだろうか。 生物科学の学位を取得後、J・キャリアはパンクロック・バンドのドラマーとなった。その後の約10年間をアフリカとイスラエルで生活し、制作を続け、現在は妻とともにニューヨーク・ブルックリンを拠点としている。2010年にはニューヨーク・フォト・アワードでファインアート賞を受賞、同年にナショナル ジオグラフィック・トラベラー/PDN「World in Focus」アワードでグランプリを獲得。2011年にはサンタフェ写真賞にノミネートされた。 - Title: Elementary CalculusArtist: J. CarrierPublisher: MACK, September 2012Format: Embossed hardcoverSize: 210 × 250 mmPages: 112Language: EnglishEdition: First editionISBN: 9781907946233


(Summer Sale) Distribution by Daniel Shea

¥14,080 ¥17,600

アメリカ人写真家、ダニエル・シェアによる写真集。 「森を撮るとはどういうことか?」─この壮大な作品は、一見シンプルだが奥深い問いから始まった。シェアは、森の全体像を写すことの難しさ──自然の中に身を置く全体的で没入的な体験を、部分へと切り取ってしまう写真の性質の中でどのように捉えるか──に正面から向かい合っている。数年にわたり多様な土地で撮影を行い、望遠レンズで密集した森林を記録し、都市を車窓からのみ撮影するなど、意図的に制約を設けることで「木を見て森を見ず」という古い諺を逆転させるようなアプローチを試みた。この制約による実践は、表象を拒むもの──生態系の複雑さ、社会的絡まり、そして双方に影響を及ぼす構造──を全面的に浮かび上がらせる。その結果生まれた本書『Distribution』は、圧倒的な密度に包まれる環境と、反復や蓄積、フレーミングを通して徐々に現れるパターンとの緊張関係を探究する。冒頭はアメリカ人の統計的中央値にあたる女性ジェシカのポートレートで始まり、次第に表層、建築物、樹木、そして人々の群像へと広がっていく。本書は、競合する密度と分散によって形づくられる世界において、私たちがいかにして主題とそれに伴う問題を位置づけるのかを問いかけている。作家キャサリン・レイシーによる短編小説を合わせて収録。 領域横断的に写真の可能性を探究し続けるシェアの、新たな代表作。写真集表現におけるあらゆる技法を駆使して制作された渾身の一冊です。 - Title: DistributionArtist: Daniel SheaPublisher: MACK, August 2025Format: Embossed linen hardcoverSize: 215 × 270 mmPages: 392Language: EnglishEdition: First editionISBN: 978-1-917651-29-5 ブックレビュー正しさの凡庸を超えて──ダニエル・シェア『Distribution』 作家インタビューダニエル・シェア『Distribution』をめぐる対話


Le Luxe by Roe Ethridge

¥12,100

アメリカ人アーティスト、ロー・エスリッジによる写真集。 エスリッジの本作は、フランス語の「C'est pas du luxe(贅沢なんかじゃない)」という皮肉な言い回しをタイトルに掲げている。この言葉は、贅沢が本質的には余剰的なものであることをほのめかしつつ、同時にそれが生にとって不可欠であるかのように宣言する。こうした逆説はエスリッジの作品全体に通底する重要な要素であり、『Le Luxe』は回顧展にありがちな重苦しさに陥ることなく、過去10年にわたる彼の実践を包括している。 私的なスナップショットから雑誌のコミッションワーク、さらにはオンライン上のスクリーンショットのアーカイブに至るまで、多様なイメージの貯蔵庫を掘り下げながら、本書は「完成された作品」を生み出す可能性そのものを拒むような、エスリッジのイメージ生成の探究をさらに推し進めている。理想化へと向かうデジタル写真の時代において、彼は自らを「完成との戦争状態」にあると語り、ウィリアム・エグルストンの言葉を換骨奪胎する。写真のもつ「清潔で完璧な条件」は、本書の造本によって意図的に揺さぶられ、アンリ・マティスの「正確さは真実ではない」という適切な警句への応答ともなっている(マティスは『Le Luxe』と題した絵画を2点制作している)。 三部構成で編まれた『Le Luxe』には、特異な背景として作家の日常が織り込まれている。エスリッジは2005年11月から2010年1月にかけて、世界貿易センターに隣接するマンハッタン中心部のある建物を記録する、単一のコミッションに取り組んだ。本書に通底するこの語りは、アナログとデジタルのあいだに生じる亀裂、そして自身の確信を一貫して掘り崩していくエスリッジの姿勢と、不穏な均衡関係を成している。 『THE PHOTOBOOK: A HISTORY』第3巻 掲載 - Title: Le LuxeArtist: Roe EthridgePublisher: MACK, September 2012Format: Embossed hardcoverSize: 250 × 285 mmPages: 206 pagesLanguage: EnglishEdition: Second editionISBN: 978-1-907946-08-0 ブックレビュー:包摂から併存へ──ロー・エスリッジ『Le Luxe』


Distribution by Daniel Shea

¥17,600

アメリカ人写真家、ダニエル・シェアによる写真集。 「森を撮るとはどういうことか?」─この壮大な作品は、一見シンプルだが奥深い問いから始まった。シェアは、森の全体像を写すことの難しさ──自然の中に身を置く全体的で没入的な体験を、部分へと切り取ってしまう写真の性質の中でどのように捉えるか──に正面から向かい合っている。数年にわたり多様な土地で撮影を行い、望遠レンズで密集した森林を記録し、都市を車窓からのみ撮影するなど、意図的に制約を設けることで「木を見て森を見ず」という古い諺を逆転させるようなアプローチを試みた。この制約による実践は、表象を拒むもの──生態系の複雑さ、社会的絡まり、そして双方に影響を及ぼす構造──を全面的に浮かび上がらせる。その結果生まれた本書『Distribution』は、圧倒的な密度に包まれる環境と、反復や蓄積、フレーミングを通して徐々に現れるパターンとの緊張関係を探究する。冒頭はアメリカ人の統計的中央値にあたる女性ジェシカのポートレートで始まり、次第に表層、建築物、樹木、そして人々の群像へと広がっていく。本書は、競合する密度と分散によって形づくられる世界において、私たちがいかにして主題とそれに伴う問題を位置づけるのかを問いかけている。作家キャサリン・レイシーによる短編小説を合わせて収録。 領域横断的に写真の可能性を探究し続けるシェアの、新たな代表作。写真集表現におけるあらゆる技法を駆使して制作された渾身の一冊です。 - Title: DistributionArtist: Daniel SheaPublisher: MACK, August 2025Format: Embossed linen hardcoverSize: 215 × 270 mmPages: 392Language: EnglishEdition: First editionISBN: 978-1-917651-29-5 ブックレビュー正しさの凡庸を超えて──ダニエル・シェア『Distribution』 作家インタビューダニエル・シェア『Distribution』をめぐる対話


Archive

Feature: Bertien van Manenベルティアン・ファン・マネンの写真集2024年8月31日(土)- 9月23日(月) この度IACKは、オランダ人写真家のベルティアン・ファン・マネンの写真集特集を開催いたします。ファン・マネンはオランダのライデン大学でフランス文学とドイツ文学を学んだあと、ふたりの幼い子どもを育てながら翻訳者として、フランス語教師として、そしてモデルとして働いていました。しかし、40歳にして当時のアムステルダムでは数少ない女性ファッション写真家としてのキャリアをスタートし、その後スイス人写真家のロバート・フランクによるドキュメンタリー写真集の金字塔『The Americans』(1958年)に触発され、ドキュメンタリー写真家に転向します。ヨーロッパ、アジア、アメリカなど、世界各地で撮影されたファン・マネンの作品の中でも、1991年から2011年にかけて制作された『A Hundred Summers, A Hundred Winters』(1994年)、『Let's Sit Down Before We Go』(2011年)は、ソ連崩壊後のポストソビエト諸国で撮影された最初期のドキュメンタリー写真作品のひとつとして知られています。ファン・マネンは時間をかけてロシア語を学びながら、現地で出会った人々や親しくなった人々を撮影し、当時謎に包まれていた国々における暮らしと豊かさを伝えました。いつの日か作家本人を招いて企画展を開催することを夢見て、IACKは今日までに出版されたファン・マネン氏の写真集を収集しておりましたが、2024年5月27日に作者は惜しくも逝去いたしました。今回開催する特集では、彼女がこれまで出版してきた写真集全10作と最新刊『I am the only woman there』(2024年)を通して、珠玉の作品とその軌跡を紹介いたします。初めて作家の名前を耳にする方も、すでに作品に触れたことのある方も、改めてその魅力を感じる機会となれば幸いです。展示作品集A Hundred Summers, A Hundred Winters(De Verbeelding/1994年)East Wind, West Wind(De Verbeelding/2001年)Give Me Your Image(Steidl/2006年)Let's Sit Down Before We Go(MACK/2011年)Easter and Oak Trees(MACK/2013年)Moonshine(MACK/2014年)Beyond Maps And Atlases(MACK/2016年)I Will Be Wolf(MACK/2017年)Archive(MACK/2021年)Gluckauf(Fw:Books/2023年)他 *当展では、作家の公式ウェブサイトに出版物として掲載されている10冊を、作家が作品と認識していたアーティスト・ブック(写真集)として分類、収集しています。 プレスリリース...


An Introduction To Bertien van Manen

写真家、ベルティアン・ファン・マネンが生まれるまで 『Archive』(MACK/2021年)水中に三脚を立てカメラを構えるファン・マネン氏。ベルティアン・ファン・マネンは、1935年にオランダのハーグに生まれ、旧オランダ炭鉱地帯東部の中心地であるヘールレンのカトリック学校で子ども時代を過ごした。その後、オランダのライデン大学でフランス文学とドイツ文学を学び、卒業後はふたりの幼い子どもを育てながら翻訳者として、ライデン大学のフランス語教師として、そしてモデルとして働き生計を立てていた。しかしある日、自宅で開催したパーティーでアシスタントに誘われたことをきっかけに、40歳にして当時のアムステルダムでは数少ない女性ファッション写真家として、レンズを向けられる立場からレンズを向ける立場に変わることを決意する。そして同年、スイス人写真家のロバート・フランクによるドキュメンタリー写真集の金字塔『The Americans』(1958年刊)に大きな衝撃を受け、ドキュメンタリー写真家に転向する。その熱狂ぶりは、当時鉄のカーテンの向こう側にあったブダペストに赴き撮影された1975年のシリーズ、『I Will Be Wolf』(2017年刊)に見ることができる。このシリーズでは、グローバリゼーションが浸透する前のハンガリーの姿が、フランクの影響を強く感じさせる距離感とモノクロフィルムで撮影されている。『I Will Be Wolf』(MACK/2017年)カメラの小型化と写真の本質への肉薄に伴い後年は目立たないが、初期モノクローム作品からはファン・マネンの写真家としての卓越した技術とセンスが感じられる。この時点では構図への強い意識も伺える。しかし、母親として子育てをしながら、家庭生活だけでなく自分自身の可能性も試したい気持ちを抱いていたファン・マネンが写真作家として成功するには、強い意志と粘り強い勇気が必要だった。家族や肉親を撮影したり、自身のルーツである炭鉱村の写真を撮り溜めたり、当時全盛を迎えていたウーマン・リブの流れにあたるソーシャル・ドキュメンタリー写真の撮影を行うが、ファン・マネンの代名詞とも言える作風が確立され、国際的な評価を得るのは1994年になってからのことだった。『Easter and Oak Trees』(MACK/2013年)当時シリーズとして発表されることはなかったが、70年代には自身の家族を題材に写真を撮影。被写体として登場する息子の一声で写真の存在を思い出し、後年出版に至る。 『I Am The Only Woman There』(Fw:books/2024年)オランダで働く移民労働者の妻や移民女性労働者たちを撮影したシリーズ『ゲストとしての女性たち(Vrouwen te Gast)』は、1979年にオランダのフェミニスト出版社「Sara」からファン・マネン初の写真集として出版された。2024年にはオランダ人グラフィックデザイナーのハンス・グレメンが主催する独立系出版社「Fw: Books」の手により、新作として再編集された。 『Gluckauf』(Fw:Books/2023年)ファン・マネンは1985年から2013年にかけて、イギリス、チェコ、アメリカ、そしてロシアの炭鉱街を繰り返し訪れた。炭鉱街に育ったファン・マネンにとって、そこに暮らす家族やコミュニティは単なる被写体以上に、心安らぐ場所であった。それらの写真は、2冊の写真集、『Moonshine』(MACK/2014年)と『Gluckauf』にまとめられている。 ポストソビエトへの旅と『A Hundred Summers, A Hundred Winters』の成功  1991年から1994年にかけて撮影された『A Hundred Summers, A Hundred Winters』(1994年刊)は、ソ連崩壊後のモスクワやサンクトペテルブルク、オデッサ、トムスク、シベリア、カザフスタン、ウズベキスタン、モルダビア、グルジアなどで撮影された最初期のドキュメンタリー写真である。ファン・マネンは、最も早くそれらの国に入った写真家のひとりだった。時間をかけてロシア語を学びながら、ファン・マネンは現地で出会った人々や親しくなった人々を撮影し、当時謎に包まれていた国々の暮らしと豊かさを伝えた。人々と交流を行いながら長期間にわたり撮影を行うスタイルと、親密さの背景に社会を描き出すドキュメンタリーの手法はこの時点で完成されたと言える。国外から来た写真家たちが絵に描いたような悲惨さを掬い上げた写真ばかり撮影していたこともあり、ウクライナを代表する写真家のボリス・ミハイロフは当初作品に対して懐疑的な態度を見せた。しかし、彼女が見せかけではない姿を捉えようとしていることにすぐ気がつき、賞賛の言葉を送った。『A Hundred Summers, A Hundred Winters(De Verbeelding/1994年)』公式上のファーストブックであり、代表作。ファン・マネンはステレオタイプに回収されない、個々人の生活から社会を描き出そうと試みた。コミュニティに自然に溶け込むために自動撮影のコンパクトカメラが使用されている。同時代のウクライナを内部の視点から撮影した写真に関しては、ミハイロフやハルキウ派の作品で見ることができる。 『Let's Sit Down Before We Go』(MACK/2011年)『A Hundred Summers, A Hundred...


【都内トークイベント】Daniel Shea & Yukihito Kono

この度、東京・西亀有のSKAC(SKWAT KAMEARI ART CENTRE)にて、ニューヨークを拠点に活動するアーティスト、ダニエル・シェア(Daniel Shea)とのトークに登壇いたします。 本企画は、2025年にイギリスの出版社MACKより刊行された新刊『DISTRIBUTION』にあわせて開催されるイベントです。「森」を起点に、一人のアメリカ人女性の像を経て、人々の集団、そして都市へと展開していく本作を、写真家でありIACKを運営する河野幸人との対話を通して読み解きます。 トーク終了後には、『DISTRIBUTION』のサイン会も実施いたします。 日英通訳もございますので、ぜひこの機会にご参加ください。 関連記事:正しさの凡庸を超えて──ダニエル・シェア『Distribution』https://www.iack.online/pages/book-review_distribution — 日時:2026年4月18日(土)トーク|14:00–16:00サイン会|16:00–17:00登壇:ダニエル・シェア(アーティスト)、河野幸人(IACK主宰、写真家)会場:SKAC(SKWAT KAMEARI ART CENTRE)東京都葛飾区西亀有3-26-4 [MAP]参加費:無料/トーク要予約英日通訳あり ご予約は以下ページよりお願いいたします。https://daniel-shea-distribution-talk-20260418.peatix.com/ サイン会対象書籍:『DISTRIBUTION』(2025年、MACK刊) 主催:twelvebooks協力:MACK、SKWAT


包摂から併存へ──ロー・エスリッジ『Le Luxe』

  現代写真を語るうえで避けては通れない作家の一人、ロー・エスリッジ。 なかでも写真集『Le Luxe』は、新たな写真表現の扉を開いた重要作であり、現在第一線で活動する多くの作家に決定的な影響を与えた。 一方で、近年その名を挙げても実感を伴って受け止められない世代が増えているのも事実で、そこに時代の推移を感じずにはいられない。 先日紹介したダニエル・シェアの『Distribution』とあわせて読むことで、いまの地点からこの本を捉え直せるのではないか。そのような考えが浮かび、数年ぶりに本書を仕入れた。 Roe Ethridge, Le LuxeMACK, 2012 (second edition) 本書は、アメリカ人アーティスト、ロー・エスリッジが2011年にイギリスの出版社MACKから刊行した写真集の第二版である。第一版がブルーであったのに対し、本版は赤いカバーをまとう。 消費社会は、エスリッジの制作に通底する主題だ。2004年に自費出版された『SPARE BEDROOM』の段階で、すでにその主題に対する独自の方法論の骨格は形成されていたと言っていい。 過去およそ10年間に撮影された写真を再構成した『Le Luxe』は、彼が2005年11月から2010年1月にかけて従事した、世界貿易センターに隣接するマンハッタン中心部の建築を記録するコミッションワークを主軸としている。言葉で直接説明されるわけではない。だが読み進めるなかで立ち上がってくるのは、やはり消費社会や資本主義社会の相貌である。 本書においてエスリッジは、それまで断続的に試みてきた方法論を、ひとつのスタイルとして決定的に結晶させた。それは作家性から切り離されたような写真やファウンドイメージを直接的に組み込むことで、「作家」や「作品」をめぐる神話を正面から揺さぶる試みでもあった。 記録としてのコミッションワークが、本書の基底を成している。 エスリッジは自身が仕事として撮影した商業的な写真やファウンドイメージを、いわゆるストレートな写真と混在させ、ページをまたいで複雑なシークエンスを形づくっていく。 この読み解きについては、先日ダニエル・シェアのシークエンス構築を紹介した際の視点を援用すれば、構造はより明確に見えてくるだろう。そのシークエンスの内部に、流れを断ち切るようなコマーシャル的/作品的イメージが差し挟まれることで、本作は安易なジャンル分けから遠ざかっていく。 ドキュメンタリーか。コンセプチュアルか。現代美術か。既存の語彙で定義することはもはや難しい。本書は写真家の営為が「記録」から、広大なイメージの領域を操作することへと移行している事実を、はっきりと示している。 自身の仕事を作品へ取り込んだ例はこれまでも数多く存在する。例えばヴォルフガング・ティルマンスの名前が挙げられるだろう。しかし彼の場合、商業誌で撮影された写真やコマーシャルの文脈にあるイメージであっても、強固な作家性がそれらを「ティルマンスの作品」として包摂する。 結果としてコマーシャルの匂いは薄められ、すべてが「ティルマンス印」の捺された作品へと回収されていくのだ。 Spread from the book "Truth Study Center" by Wolfgang Tillmans強固な作家性によってすべてが「作品」へと回収される。 ではエスリッジの場合はどうか。 彼は写真を作家神話の内部に回収しない。むしろ、コマーシャルの様式の中に位置づけられていると言っても過言ではない。ファッション誌や広告の語法を思わせるイメージは、文脈を移動することで、消費社会そのものへの批評として作用し始める。 ファッション写真はファッション写真のまま、広告は広告のまま置かれる。ティルマンスのように作家性がそれらを統合するのではない。衝突や断絶そのものがページ上に露出する。 それは芸術と商業を融和させる身振りではない。 コマーシャルと作品が分離できないまま併存している現実。それこそが現代性であり、本書はそのイメージ・システムの現状を明確に反映している。この転換は、作家的純度の高さによって価値を保証してきた従来の前提を反転させる。そして同時に、二項対立そのものが効力を失いつつある社会の姿を示す。異質なイメージが並ぶことで、主軸となるいわゆる「作品」的なストレート写真の読みまでもが連鎖的に変化していく。 さらに本書では、アナログとデジタルも未分化のまま共存する。かつては断裂として受け止められた差異を、今日の読者は大きな違和感なく引き受けるだろう。そこにもまた、時間がもたらす読解の更新がある。 Spread from the book "Le Luxe" エスリッジが提示した反英雄的な態度、理想化された作家像へのアンチヒーロー的なスタンスは、その後のアメリカを中心とする写真表現にひとつの基準を与えた。ミクロな政治性や社会性を扱いながら、現実と虚構の境界を前提として引き受ける後の世代の背後には、確かにエスリッジの影がある。 古典の面白さとは、時代が進むことで読み方が変わる点にある。変化に耐え続けるからこそ、作品は古典になっていく。その後に起きた数々の社会的出来事や価値観の転換を経たいま、本書の位置づけもまた更新された。読み返すと、かつてとは異なる像が浮かび上がる。 だからこそ、そしてダニエル・シェアを紹介した後のいまだからこそ、あらためて手に取ってほしい。...


長く、豊かに作品集を楽しむために Vol. 2

Vol. 1はこちら-前回は、IACKが作品集をセレクトする上で重視しているポイントをご紹介しました。 1. ジャンルを問わず、まず第一に作品自体(内容)の強度が感じられるか 2. 作品集は展示同様に独立した表現形態であり、そのことを意識した作品作りが成されているか 3. 作品内容・表現手法・アウトプットのバランス
 以上の3点は作品集を読む上でも有用な判断材料になり得ると思います。その他、作品自体が持つ文脈や歴史に照らし合わせて読むことも当然必要になるのですが、自分の好み以外の評価基準を設けて鑑賞するために、まずは参考にしてみてください。今回からは、そのようにセレクトした作品集をどのように紹介していきたいと考えているかを少し。【量とスピードをどのように捉えるか】2010年代のアートブック/写真集ブームは、過去に例を見ない数の作品集と観客を生み出しました。しかしその反面、しっかりと鑑賞されることなく埋もれてしまった作品や、一時的ブームとして消費することしかできずに離れてしまった観客たちが多く生まれたことも事実です。なぜそのような事態に陥ってしまったのか。その原因として真っ先に思いつくのは、「制作量が多すぎた」ということです。しかし、当然事態はそれほど単純ではありません。確かに近年は、「質の悪い作品集が大量に作られすぎている」と言う小言が出てくるほどに多くの作品集が制作されていますが、その量が実現したのは出版に対するあらゆるハードルが下がったからであり、また作品集というメディアに対する認知度が今一度高まったからだということを忘れてはいけません。それ自体はどう考えても悪いことではありません。ぼくはむしろ、原因は量や質よりもその速度にあったのではないかと思います。もう少し掘り下げてみましょう。これまでの話を踏まえると意外かもしれませんが、10年代ではむしろ速度を落として制作数を減らし、より丁寧に作品としての作品集を制作する方針が主流でした。*注では一体なぜ量が増えたように感じるのか。それは独立系出版社や自費出版の数が増加したためです。出版社単位での制作数は減った一方で、制作人口が増えたことにより市場に出る作品集の総数が増加、結果として常に新刊が出版されているように感じられたのではないかと思います。話をクリアにするために整理してみましょう。 10年代以前それ自体作品としての作品集という考え方や、その意識を持って作品集を制作する独立系出版社は当時から存在したが、まだ現在ほどの広がりは見せていなかった。あくまで大手出版社が先導する大量生産が主流。一年に大量のタイトルを出版。 10年代これまでのコレクション要素の強い作品集から、より民主的かつ作品性の高い作品集(アートブック/フォトブック)へ。年間制作タイトル数を減らし、一冊一冊を作家と協働制作。全体としてスローダウンを志向する一方で、制作者が激増。アートブックフェアも浸透。 〜現在?盛り上がりと比例して制作者の数が増え、常に市場に新刊が溢れる。そのスピードと単調なサイクルから次第に飽和状態へ。 時代に応じて問題となる量やスピードの対象は変化しています。以上のように、この先議論を進めるには、より広い視点で事態を捉える必要があることをご理解いただけたのではないかと思います。ではこのような状況下において、制作者と観客を繋ぐIACKができることは何か。それは独自の時間軸の構築であり、「ちょうどいい」言説の提供なのではないかと考えています。(つづく)-------*注1:10年代の写真集作りを牽引したロンドンの出版社「MACK」は、これまでの作品集の出版ペースが早すぎると感じ、年間制作タイトル数を減らした丁寧な作品作りへと向かった。大量生産のカタログから民主的な作品としての作品集へ。その姿勢は10年代のスタンダードとなり、多くの出版社に影響を与えた。https://imaonline.jp/articles/interview/20161209michael-mack_1/#page-1


Book Review: Dark Rooms by Nigel Shafran

イギリス出身の写真家、ナイジェル・シャフランは、1980年代後半にヨーガン・テラーやコリーヌ・デイ、デイヴィット・シムズらとともにロンドンの『i-D』、『THE FACE』、『Dazed & Confused』誌などで活躍した写真家の一人である。現在ではファッションフォトグラファーというよりは、ギャラリーや美術館で展示を行う写真家として認知されている。1995年に自費出版したパートナーのルースとの生活を記録した写真集『Ruthbook』は、彼のキャリアのターニングポイントとなっただけでなく、写真家と被写体の関係性を捉えた名作として写真集の歴史にもその名を深く刻んだ。そして2016年、MACKから自身8冊目となる写真集『Dark Rooms』が出版された。本書は『Ruthbook』や、同じくパートナーを題材に制作された『Ruth on the phone』のようにひとつのシリーズから構成された一冊ではなく、シャフランが2005年から取り組んでいた未出版の5つのシリーズを中心に構成されている。スーパーのレジのコンベア上を流れる商品を撮影した「Supermarket checkouts」、エスカレーターを降りる人々を横からの目線でとらえた「Paddington escalators」、どこか物悲しさを感じさせる介護用品ショップのシリーズの「Mobility shops」、母親が自宅で制作していた作品を撮影した「Mother’s work」、そして自宅の台所に積み上げられた空の容器を写したシリーズ「Packages」。これらの一見脈絡のないシリーズの要所要所に自宅の風景を差し込みながら、本書は淡々と展開される。本作が過去のものとは異なり、極めて光の少ない場所で撮影された写真を多く採用している点に気がつくであろう。本書の制作中にシャフランは両親を立て続けに亡くしており、その出来事が『Dark Rooms』に大きな影を落としているということは本人も認める通りである。一体その出来事とこれらの5つのシリーズ作品はどのような関係性にあるというのだろうか。  本書は、2004年に出版されたモノグラフ『Edited Photographs 1992-2004』の続編とみなすことも可能かもしれない。パートナーとの生活や息子の誕生を受けて編まれた『Edited Photographs1992-2004』と、家族の喪失を受けて編まれた『Dark Rooms』。しかし、一見似た体裁をとった2冊の相違はその内容のみにとどまらない。 「シークエンス(順序)」という言葉は、シャフランが自身の作品について語る際に最も頻繁に口にする言葉のひとつである。写真をもとの文脈から抜き取り順序付けることで効果的にみせること、そしてそれを一冊の本で行うこと。それこそが『Ruthbook』での彼の発見であった。本書では、直接的に類似性を指摘するような配置や端的な構成は取っておらず、むしろ各シリーズを独立したものとしても鑑賞できるよう、各シリーズのシークエンスはほとんど崩されていない。ここでは写真単位のシークエンス付けとシリーズ単位のシークエンス付けが同時に行われており、シリーズとしての独立性は保ちつつも、『Dark Rooms』というひとつの新たな作品へと昇華させるという異質かつ大胆ともいえる試みがなされている。各シリーズの独立性と優位性を保ちつつ編集するモノグラフ的構造と、そこに別の視点を与えることで新たな作品へと昇華する構造。この入れ子構造は、『Dark Rooms』という作品にある種の語りづらさをもたらす。本書がどのような一冊かを説明する際に「5つの未出版のシリーズを収録した一冊」と言った途端モノグラフの構造にとらわれるし、一度モノグラフという言葉にとらわれたが最後、これがひとつの新しい作品であるとは捉えづらくなってしまう。この構造はこの本から徹底的に一貫した物語性、あるいはドラマ性の排除を行っているのだ。このドラマ性の拒絶はナイジェル・シャフランという写真家が日常に潜む非日常性、我々が享受している日常風景のある種の不気味さ、不格好さを個人的な視点から捉える写真家であり、「日常性」や肩肘を張らない「さりげなさ」が作品において重要な要素であるという点からも当然の帰結として考えられよう。ここではむしろ喪失を世の定め、生の一部として受け止めた上で前に進もうとする写真家の姿が浮かび上がってくる。いまならば断片的に思えた5つのシリーズにも関連性が見えてこよう。運ばれるということ、進んでいく時間、老いゆく定め、かつてあった存在、役割を失ったモノたち。そこでは淡々と、時と絡み合ったこの世の様が描写されている。 本書の冒頭には小さく、 “For my family, past, and present(家族、過去、そして現在に捧ぐ)” と記されており、そこに未来を表す “future”という言葉は見当たらない。写真家の取り組みとは現在から静止した時間(過去)へと接続することであり、その姿は、シャフランが本作を制作するにあたってのもうひとつの影響源として名を挙げる1946年公開のイギリス映画『A Matter of Life and Death(天国への階段)』で、天国の使者が自在に時を止めて現世へと関与するさまと酷似している。しかしここで決定的に異なるのは、天界の使者が静止した時間に関与することができるのに対し、我々にはそうすることは許されていないという事実だ。我々に可能なのは、写真という欠片を介して過去へと接続しながら、その中にでもなく未来にでもなく、現在の中にこそ光を見いだすということである。本書は部屋で眠る息子のレヴの写真と、日常の象徴である自転車の写真で幕を閉じる。シャフランが暗い部屋の中で何を見たのかは、明白であろう。それこそが『Dark Rooms』という作品を包み込む静かな力強さなのであり、彼にとっての写真のあり方なのだ。突飛な手段を取るわけでもイメージと戯れるわけでもなく、伝統的な構造を用いつつ同時にさらなる昇華を模索した本書は、現代における写真集というメディアの新たな在り方を提示しているのかもしれない。(This article was originally published on 22nd February 2017) -Title: Dark RoomsArtist: Nigel ShafranMACK, 2016Hardcover,...

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