建築と記憶のポリフォニー──マーリット・バウ・ムストネン『Kirjan edustalla on aukio』をめぐる対話


Cover of "Kirjan edustalla on aukio" (Multipöly, 2026) ©︎Maarit Bau Mustonen

フィンランド人アーティスト、マーリット・バウ・ムストネンによるアーティストブック『Kirjan edustalla on aukio』は、2026年にMultipölyより刊行された。本作の主題は、ヘルシンキ近郊の街ヴァンターに建つひとつの建物である。1957年に図書館として建てられ、子どものためのアートセンターを経て、現在はギャラリーとして使われているこの建物を、ムストネンは誰もいないギャラリー空間の写真と、未裁断のページの内側に隠されたテキストによって、一冊の本へと翻訳した。

福井でのレジデンス滞在、幼少期に通った建物との再会、建物を本に変えるという発想、展覧会の中で本を読むこと、約10年ぶりとなる写真への回帰、出版コレクティブMultipölyの活動、そしてフィンランドのアーティストブックをめぐる状況について話を聞いた。

Hamuroでのレジデンス

河野幸人(以下 YK):はじめに、ご自身の制作についてお聞かせいただけますか?

マーリット・バウ・ムストネン(以下 MBM):私はフィンランドのヘルシンキを拠点とするアーティストで、出版社も運営しています。テキスト、イメージ、インスタレーション、パフォーマンスを扱っていて、現在取り組んでいる作品は、特定の場所に根ざす性質が強いものです。特定の場所や空間に関心があり、そうした空間の層──その場所の記憶や、そこでの身体的、あるいは主観的な経験といったもの──を扱っています。今日お話しするプロジェクトは、その良い例だと思います。それから、アーティストブックを作っています。それが私たちの出会いのきっかけでもありました。アーティストブックは私の制作の中心にあります。

YK:Hamuroのレジデンスに参加した経緯を教えてください。

MBM:幸運なことに、Hamuroに招いていただいたんです。Hamuroはアーティスト運営のとても小さなレジデンスで、福井県あわら市にあります。設立したのは、フィンランドに長く暮らしている日本生まれのアーティスト、加藤将司さんです。これまでの参加者はみなフィンランドから日本に来ていて、私は7月の1ヶ月間、ここで過ごすよう招かれました。

YK:そこではどのような制作やリサーチをしているのですか?

MBM:もともと関心のある本と空間、言語を軸に、ここへ来ました。とても刺激的です。日本の本を眺めるだけでも──本がこちら側、つまり、いつもとは反対側から始まって、文字の行が横ではなく縦に組まれている。レジデンスのある田舎町で出会う、そうした基本的なことさえ、私の思考にとって大きな刺激になっています。

『Kirjan edustalla on aukio』

YK:私たちが初めて会ったのは7月、もしくは6月の終わりにIACKを訪ねてくれたときでした。2回目の来訪の際、あなたはご自身の本を持ってきてくれました。一冊はテキスト作品の本、もう一冊は写真とテキストによる本でしたね。私は特にあなた自身の新作である後者が、作品としても本としても本当に美しいと思いました。今日はこのプロジェクトについて聞かせてください。

MBM:この本のタイトルは『Kirjan edustalla on aukio』──"A town square faces the book"。写真と2言語のテキストで構成された本です。主題は、私の故郷ヴァンターのとある建物です。現在、この建物はギャラリーとして使用されていますが、私にはここで過ごした1990年代の記憶があります。5歳から7歳の頃、児童合唱団に参加するためにここへ通っていたんです。数年前、実家に帰ったとき、いまはギャラリーになったこの建物の前を通りかかって、子どもの頃に来たことを思い出し、好奇心から覗いてみることにしました。そして、この建物に本当に驚かされたんです。とても美しくて、建築として魅力的で、少し変わった、独特な空間でもあります。中央に窪みが──大きな穴が空いたような空間があるんです。

©︎Maarit Bau Mustonen

その後、この建物がもともと図書館として建てられたことを知りました。そして気づいたんです。ギャラリーの名前「Galleria K」のKは、フィンランド語で図書館を意味する「kirjasto」から来ていると。この建物の歴史は知られてはいるものの、空間の中ではほとんど見えなくなっていると感じました。いまの私は本を作り、出版をしているので、もともと本のために建てられたこの空間に強く惹かれました。自分の記憶がこの空間にあり、いまはギャラリーになっていることも、私の制作とつながっています。それで、この空間についての展覧会をこのギャラリーでやりたいと思ったんです。

何度か展示を見に足を運ぶうちに、いまは保存建築に指定されていることも知りました。そこで目にするのはたいてい、台座の上の彫刻や壁の絵画です。つまり建物は作品の背景になってしまっている。だから、空間そのものを中心に据えるものを作りたかったんです。それで展覧会の申請と、どんな作品を作るかを考え始めました。

建物を一冊の本に翻訳する

YK:この本は一見、普通の写真集のようですが、そうではありません。もちろん展覧会カタログでもない。アンカット製本が施されており、ページのあいだを開こうとすると、内側にテキストが見えます。このテキストについても教えてもらえますか?

MBM:表面には、誰もいないギャラリー空間の写真があり、その内側、写真の背後には、テキストが続いています。それはこの建物の歴史と、さまざまな役割の変遷をたどるものです。はじめは図書館として、次は子どものためのアートセンター、現在はギャラリーとして、そして今、一冊の本として。テキストはこれらの役割を混ぜ合わせていきます。つまり、建物──この空間のいくつものアイデンティティが、互いに入れ替わるんです。本書のタイトル──「広場は建物に面している」ではなく、「広場は本に面している」──もその一例です。

©︎Maarit Bau Mustonen

この展覧会を作るプロジェクトの中で、この建物は本になるべきだ、という考えが生まれました。図書館が閉じてから40年になります。だから、建物を本に変えることで、建物と本のつながりを作り直したかったんです。最終的に、写真とテキストで作ることになりました。写真の背後に隠れたテキストは、目には見えないもの──見ることはできないけれど、空間の中で感じたり、別の仕方で知ったりできるものを描いているのだと思います。

展覧会の中で、そして展覧会のあとで本を読む

YK:本書の表紙の色も建物から来ているんですよね?

MBM:ええ、そうです。本の外側が、建物の外観を反映しています。展覧会では、訪れた人がこの本を手に取り、実際の場所に立って収録された写真を見ることになります。

YK:展覧会会場に写真のプリントはなく、あるのは本だけなんですよね?それはなぜですか?

MBM:ええ、そのとおりです。私は展覧会の一部としてアーティストブックを作ることに関心があって、本が作品のひとつになるようにしています。そうすると作品が二重のアイデンティティを持つのが面白いんです。展覧会の中では作品であり、他のメディアとの関係の中にあります。たとえばこの展覧会にはインスタレーションとサウンド作品がありました。本は他の芸術形式と対話するんです。そして、展覧会はいつも一時的なものです。展覧会が終われば、本は本として生き続け、他の本のあいだに入っていきます。そこを探求することに関心があります。だからこの作品は本として作られ、写真はギャラリー空間ではなく本の空間のために撮られました。この写真をこの空間の外でプリントとして見せることは考えていません。おっしゃっていたように、実際の空間でこの本を読むのは、いまここで読むのとはまったく違う体験でした。でも、そこが本の美しさだと思います。本は旅をしますから。

©︎Maarit Bau Mustonen

写真への回帰

YK:もうひとつ面白いと思ったのは、あなたの経歴のことです。大学で写真を学んでいましたが、これが初めて出版した写真の本だと言っていましたよね?

MBM:自分の制作で写真を使うのは、10年ぶりくらいだと思います。展覧会の写真は撮ってきました──自分や友人の展示の記録です。だから、この誰もいないギャラリーを撮り始めたとき、「いつもの仕事だけど、作品がない」と思いました。奇妙に馴染みのある感覚でした。写真はもう過去に置いてきたと思っていたので、自分でもとても驚きました。今回は写真を使うしかない、という感覚でした。写真を使いたくなかったわけではありません。ただ、長く離れていたので、写真を扱うことに自信が持てなかったんです。写真を学んでいた頃は、すべてが写真中心でした。でも今は、この分野で何が起きていて、何が問われているのか、あまり追えていません。

でも、気づいたんです。空間の建築と本の建築のあいだに対話を作りたいという関心があったから──今なら、それを写真でできると。写真が空間のイメージを作り、それを本の空間へ運ぶ。そして本が、その建築をイメージに貸すんです。

YK:今回の場合、写真がとてもよく機能していると思います。もしこの本がテキストだけでできていたら──それでも良い本だと思いますが、実際の空間でそれを読むのは、誰かの記憶を読むだけのことになる。でもこの本には写真があって、その写真は昔のものではないですよね。だから訪れた人は奇妙な体験をします。実際の空間と写真を同時に見る──最近撮られたものなのに、テキストと合わせて読むことで、表情を変える過去の写真を。そこにギャップがある。写真と現実の空間のあいだには、すでに時間のずれがあるんです。それにテキストも長い時間を扱っています。

MBM:背には、建物が別のものへ変わっていった年号が最初から記されています。建てられたのは1950年代──1957年です。

YK:展覧会とこの本を考えるとき、写真は橋のようなものだと思います。見る人と展示空間──つまり建物──をつなぎ、作家であるあなたと、テキストを寄せた人たちをつなぐ橋です。

©︎Maarit Bau Mustonen

アーティストであり、出版者であること

YK:お話ししてきたように、あなたは本に詳しく、ご自身で出版社も運営しています。その出版社についても聞かせてもらえますか?

MBM:自分の本や出版物のほかに、2人だけのとても小さな出版コレクティブをやっています。名前はフィンランド語ではMultipöly、英語で言えばMultipolyです。pölyはフィンランド語で「ほこり」の意味で、multiには「多くの」「多様な」という意味が重ねられています。グラフィックデザイナーのアルヤ・カルフマーと設立しました。2人ともテキストを基点とした実践──アート、デザイン、芸術的リサーチに関心があります。

Multipölyでは実験的な出版に取り組んでいます。自分たちにとって創造的なことをやろうとしていて、それは単に本を作ることとは少し違います。コレクティブや出版プロジェクトに使える時間はごくわずかなので、自分たちが楽しめるものを作るべきだと気づいたんです。アーティストの仕事には、読むこと、見ること、解釈すること、そして同業者の仕事に応えることも含まれていると思います。だから、理想的には自分の仕事と誰かの仕事のあいだに区別はなくなります。核心にあるのは、誰の作品かということではなく、仕事のあらゆる部分に創造性があるということです。

©︎Maarit Bau Mustonen

フィンランドのアートブックシーン

YK:フィンランドでは、アーティストが自分の出版社を持つのは一般的なんですか?

MBM:アーティスト運営の出版活動はいくつかあって、5年前と比べると今の方が増えています。コロナ禍が出版に何かをもたらしたのだと思います。あの時期は集まることも、どこかへ行くこともできなかったけれど、本は家で読めますから。本は自分だけの空間のようなものです。だからあの時間が出版に作用したのだと思います。もちろんフィンランドではアートの世界も出版の世界も小さいのですが、それでも出版への関心は、アーティストにも書き手にも、どんどん広がっていると感じます。写真の分野では、ずっと以前から盛んでした。アーティストによる出版について学び始めた頃に気づいたのですが、たとえば中央ヨーロッパでは、こうした小さな活動の多くはグラフィックデザイナーが始めるのに対し、フィンランドでは写真家が始めることが多い。面白い違いだと思います。一般的かというと、主流ではありません。でも今は活発で、生き生きとしています。

しかし思い出したのですが──いま変わりつつあるのは、芸術文化の分野が大幅な資金削減に直面していることです。いま、かなり大きな問題になっています。アーティストとして生計を立てるのはいつだって難しいけれど、こうした周縁的な活動ではなおさらです。3年後にどうなっているかわかりません。こうした実践をどう維持するのか。フィンランドではアーティストブックの売上だけでは生活できないので、活動には助成が必要です。いまの削減のままで、この生き生きとした出版の場を維持できるのか、わかりません。

YK:当然何事も無料ではありませんからね。

MBM:ええ、本当に。そのとおりです。

YK:最後に、進行中のプロジェクトや今後の予定があれば教えてください。

MBM:はい。Multipölyでは、長く続けてきたプロジェクト「Eurantie Window Publication」を仕上げているところです。3年半にわたって、月に一度ほど、アーティストや作家、研究者に依頼した新しいテキストをスタジオの窓に発表してきました。そのすべてを写真で記録してきたんです。

YK:写真家として?

MBM:ええ、写真家として。それをいま、一冊の本にしています。これから取り組むのが楽しみな仕事です。それもまたサイトスペシフィックで、建築と結びついています。だから今度は、それを本に翻訳するんです。



本稿はインタビュー動画、「IACK Conversations 02」(2026年8月20日公開)をもとに編集されました。

聞き手・編集:河野幸人(IACK)

▶ インタビュー動画(日本語字幕付き)はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=2QaWnSHErJ4

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www.iack.online/products/kirjan-edustalla-on-aukio-by-maarit-bau-mustonen

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